〔解釈〕人が三人行動を共にした場合、他の二人から必ず自分にとって先生とするものが得られる。その中の善者と思える人からは、素直にその言動を見倣うように心がけ、善からざる言動をとる者を見ては自分はあのような言動をしていないか、よく省みてそうならないように注意して行動する。つまり、善を見てはそれを鏡とし、不善を見ても反面教師として反省材料とするのである
戦前戦中の国情を知る者にとって、事の善悪、正邪に対する判断基準も相当な変遷を感じる。とにかく良きにつけ悪しきにつけ、特に動乱の世を見聞きすることは得ようとして得られぬ貴重な体験である。二度と体験したくない体験であるが、体験せぬ者に比べて、人生にそれなりの厚みを加えられたことだけは確かである。なんといっても、現実では山や川や海で遭難でもせぬ限り飢餓を味わう機会は先ず無い。その意味からして体験者の話は以後の人生のエキス・栄養である。昔から〝親の言うことと茄子の花は千に一つのあだもなし?と諺にもあるが、なにも先輩のみに限らぬ、いや自分より年少者からはっとさせられるような貴重な話を聞くことも多々ある。
それを思うと一個の見聞・体験など洵に微々たるものと痛感せざるを得ない。
中国人に昔から崇められ親しまれた老子という人は、耳朶が異常に大きく、肩に付くほど垂れていたと云われるが、あながちこれは虚言とは思えぬ。現実にも人から慕われ、しかも多聞で思慮深く温厚な人は多々耳朶が大きい。よく〝顔に書いてある?と云われるが顔に限らぬ、凡ゆるところに、又凡ゆる所作に現われるようである。有名な漂泊の不定型俳人・山頭火の句に〝うしろすがたに時雨て行くか?というのがあるが、酒におぼれ自制心の効かなくなった自己の、遠からぬ死期を感じた時の句と云われる。只筆者は彼の耳朶だけは大きかったのではないかと、その人柄から想像している。
ともあれ云うは易し行うは難しで、ついつい自我の出る日常を、改めてこの年になって戒慎するやしきりである。
耳かさぬ己を恥じて耳赤し
論語普及会会長 村下 好伴 |