今月のことば (2015年5月)
衛靈公、問陳於孔子。孔子對曰、爼豆之事則嘗聞之矣。
軍旅之事未之學也。明日遂行。
(衛靈公第十五・仮名論語二二七頁)
〔解釈〕孔子が祖国魯の隣国の衛に行かれたとき、君主衛公から軍旅の陣立てについて質問された。孔子は「私はお祭りごとの礼法・祭奠の並べ方などの知識は微か心得ておりますが、軍隊の陣立てなどにつきましては、未だ學んだことがございません」とにべもなく答えてあくる日、早々と衛の国を立ち去った。

 五十もなかばを過ぎて祖国を離れ、あしかけ十四年もの諸国遊歴の旅をした孔子の眞の目的は何であったか?云うまでもなく、利権渦巻き戦乱やまぬ世相を鎮め、平和で平穏な世の中を取り戻したい一念で、そのために自分と志を同じうする者を、とりわけそんな君主はいないのかと望みをもって探しあぐねた旅であったと云って過言ではなかろう。そうとも知らず靈公は己の欲望を丸出しにして質問をぶっつけたのである。
 凡そ人類は今日まで凝りもせず常に地球上のどこかで前記の如き愚かな歴史を繰り返し悲劇を重ねてきた。アインシュタインは「人類は争って争ってやがてへとへとにならねば目覚めないであろう」と予言したが、それではあまりに悲しいではないか。
 人間の眞の幸せとはなにか。結局相手を思いやる、人の不幸見て見ぬふりの出来ない、人の痛み悲しみは己の痛み悲しみと感じられる人間でありたい。そのことは最近では僅かに東北における東日本大震災の時に仁の働いた事例を見ることができた。このことを鏡に、もっともっと己を虚しうして自己の確立を目指し精進しなければならぬ。
 耳かさぬ己を恥じて耳赤し

論語普及会会長 村下 好伴

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