孔子と諸先生方に導かれて(第十二回) 論語との出会い 本会理事 宮武清寛
 平成二十五年、私は全十場の芝居の台本を書き上げました。というのは、その年の夏季論語師道研修会に一人の青年が参加しました。彼は役者だったのです。懇親会では、芝居の話で盛り上がりました。酔った勢いで誰が言い出したか、論語普及会で芝居をやろうと言うことになったのです。ただ酒の席でのたわいないうだうだ話です。しかし私は、一過性の酒の席での話にしてはいけないと強く思いました。そして秋季論語師道研修会の日までに書き上げたのが以下の「孔子伝・耳順・従心篇」です。
 話は、十四年にわたる放浪の生活の後、再び故郷の魯国に帰った時から始まります。  つまり晩年の孔子を描いたのです。書きたい場面は沢山ありました。貧しかった少年時代。学に志した青年時代。天命を知り政治に参画した時代。過酷な十四年に渡る放浪の時代。隠者とのやり取り。迷った末に若い弟子たちとの晩年の孔子を書きました。私はエピソードⅥと名付け、その前の物語五つを何時の日にか書きたいと思っています。でもまずは、この台本に日の光を当てたいですね。
 この孔子伝をもって私の「論語漫游」を終了します。一年間私のつたない文章を読んでいただきありがとうございました。
 それでは、孔子伝エピソードⅥを九場から字数の許すまでお楽しみください。
●第九場 孔子の邸宅(孔子死す)
ナレーター このころになると、孔子の生活には、人生のたそがれの寂しさがはっきり現われてきた。
  今では、わずかに子貢、子夏、曽子といった年若い弟子が従っているだけである。
  ある日、孔子は子貢に語りかけた。
孔子「私を理解してくれる者はいない。」
子貢「どうしてそんな事をおっしゃるのですか。」
孔子「いや、なにも天を怨むわけでも、人を責めるわけでもない。」
子貢「では、なぜ。」
孔子「私は日常的なものから研究を始めて、より高いものへの到達を求めてきた。そんな私を理解してくれるのは、天だけであろうか、と思ったのだ。」
  また、ある時も、子貢に語りかけた。
孔子「私はもう何も話したいとは思わぬ。」
子貢「それでは、私たちは何を手本にすればよろしいのですか。」
孔子「ごらん、天は何も語らぬではないか。それでも四季はめぐり、万物は成長している。天が口をきくかね。」
子貢「先生、おっしゃる事が、昔と違ってきています。」
(完)

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