孔子と諸先生方に導かれて(第九回) 論語との出会い 本会理事 宮武清寛
古人の跡を求めず
古人の求めたるところを求めよ
 私達に、生涯の師と仰いだ人がある限り、不肖の弟子であったとしても、師の目指したところ・求めたるところを仰ぎ見それの実現に向かって邁進するほかはない。前出の言葉はそんな思いを起こさせ、私の使命・天分を改めて考えさせられる言葉になりました。
 私は近年、伊與田先生のお話を聞いていて「神洲不滅」の碑の話と、七歳でお母様を失い、高台の家で「論語」の素読を始めた頃のお話しが、非常に多い事が気にかかって仕方がありませんでした。そして、その場所に行ってみたいと。私は思うようになりました。曾て先生が立ったその場所で先生が行った行動をとり、その場所で直に語り合えたらどんなに幸せだろう。そしてそれは、今しか実現し得ないと…。
 「神洲不滅」の碑というのは昭和二十年の終戦で伊與田学監の所属していた部隊が解散する際に軍旗を奉焼し遺灰と玉冠を太平洋を望む山頂に埋め、その地に建てられた碑です。
 それは平成二十三年七月十七日その思いは実現しましたが、伊與田学監とご一緒する事は叶いませんでした。しかし、志を同じくする師友が二十九名馳せ参じ又地元の有司六名のサポート隊と目指した「神洲不滅の碑」への登頂の光景は圧巻でした。
 そして翌日台風九号が迫りくる豪雨の中での宿毛橘浦の伊與田学監の生家での素読も実現できました。
 日本は敗戦から、奇跡的な経済復興を遂げてきましたが、今、日本は、底知れぬ閉塞感に襲われています。政治や行政、経済から教育まで、あらゆる国民生活の面で行き詰まり、混迷と将来への不安を深めています。しかし、日本人には素晴らしい底力や長い歴史に育まれた数多くの精神的遺産があり、勤勉にして誠実な天与の優れた国民的素質があります。
 神洲(日本)は不滅なのです。そんな中で、私にはどんな使命・天分があり、実行していったらいいのか。
 学監は言っています。「時局は移り、問題は改まって留まるところを知りません。しかしながら、何時の世にあっても変わらない大切な事は、人間の問題である。そして、その人間の完成を目指す為には、一生を通じての絶え間ない自己研鑽と、正しい教えによって安心立命に導き、如何なる立場に立っても、信頼と敬愛の念を持って迎えられる人物を養成する事が肝要である」と。
 「仰げば弥々高く、鑚れば弥々堅くして、これに従わんと欲すると雖も由無し」 これは孔子の一番弟子顔回の言葉です。不肖の弟子ながら、微力ではありますが、「師の求めたるところを求める」と深く心に誓い行動して行きます。
 森信三先生の「生身の師をもつことが、求道の真の出発点」という言葉を噛み締めて新たな夢に向かってのスタートです。実は今年の孔子聖廟巡拝会は十一月二十六日の香川丸亀で行われる藩校サミットに参加します。そして二十七日には何陋島上陸にチャレンジしたいという野望が頭をもたげています。時期尚早でしょうか。悩むところですね。
 伊與田学監の身近に居られる幸せに感謝すると共に、何時までもいつまでも健康で元気に私たちを導き続けてくれる事を願って止みません。

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