孔子と諸先生方に導かれて(第七回) 論語との出会い 本会理事 宮武清寛
 苦楽園塾の後は、大阪市西区の倫理法人会、日創研の研修者OBの人間に学ぶ会、天分塾課外学習で単発的に「論語」の話をしてきました。現在継続できているのは、人間学塾中ノ島での「論語のこころ」の読書会、そして、平成二十五年五月より故郷の香川県に帰っての、「敬愛親子論語塾」開催です。
 論語の素読を通して、地域から日本を元気にすると、子供達と論語の素読と勉強会をしようと始めた事が、月に一度、年老いて入退院を繰り返えす両親の前での論語教室、事務局は弟がしてくれています。現在の状況を見ると、これは敬愛親子論語塾ではなく宮武家親子論語塾だなぁと思ってしまいます。
 現在塾生の平均年齢は七十歳位で子供はいません。コミュニティセンターでの生涯学習となっていますが、塾生の方々は熱心に学んでいます。その姿が私自身の向上心に結びついています。浅学未熟な私を成長させてくれているのだと毎回感謝しながらの二時間です。
 平成二十三年九月初めて論語普及会主催の講演会の講師として演壇に立たせていただきました。それは「先哲祭」です。顕彰する先哲は水戸光圀、悩んだ末講題を「徳川光圀の立志と大日本史編纂」としました。
 当時緊張と同時にメチャクチャ嬉しかった事を思い出します。伊與田先生と同じ演台に立てる、それだけで感動していました。そして同じテーマで話ができる。こんな事が私の人生の中で実現するという事は夢にも考えた事がありませんでした。まさしく夢を見ているような気持ちで、少し舞い上がった状態でしたが、必死でしゃべり続けた事が昨日のようです。
 水戸光圀が何故、大日本史を編纂しようとしたのか、それがテーマでした。そこで、郷友会で眞鍋先生に学んだ「史記」を活かしたい、そんな思いで、皆さんに資料として配布したのは先生の手書きのテキストです。
 光圀は「史記・伯夷伝」を読み、自分の生い立ちとよく似た伯夷叔斉の行動に感化され、それまでの自分の過ちに気づき、志を立て、それを一生貫き通した事が皆さんに伝えられたのでしょうか。
 「伯夷伝」を読み、光圀は高い徳義に感動し、三男の自分が兄を超えて世子となった事に改めて強い心の痛みを覚えると共に、この読書体験を契機にこれまでの奔放無自覚な行動を深く反省し、以後、学問に励むようになります。
 国の歴史書を作ると言う事は、過去の事実を明らかにするのではなく、国の本来の姿を明らかにして、その変遷の跡を見定めて、将来の在り方、理想を掲げ得るものでなければならないと考えられ、同時に歴史は人が作るものですから、読む人は人物を批判し、自分の在り方を正すことができます。
 大日本史を完成させるのに明暦三年(一六五七年)から明治三十九年に至る約二百五十年間もの気の遠くなるような長期間を費やしています。この期間の長さには驚かされますし徳川光圀の強い志を感じます。
 最近いろんな所から声がかかるようになってきました。師道研修の講師もさせていただきました。四月からは西区倫理法人会の人達とも論語の勉強会を始めました。浅学な私
ですから本当に大変な毎日ですが日々充実しています。

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