孔子と諸先生方に導かれて(第五回) 論語との出会い 本会理事 宮武清寛
 平成十七年四月、私にとって二度目の曲阜への旅です。曲阜は私と論語の出会いの場所でもあります。西宮木鶏倶楽部の仲間達と曲阜を訪れたのは一九九九年の八月でした。孔子廟大成殿の前で学而第一の素読をしたのが昨日のように思い出されました。
 今回の旅は、京都霊山記念館での社長塾の縁です。前年の夏、田舞さんの発案で今回の旅があることを知りました。論語普及会学監伊與田覺先生と日本創造教育研究所田舞徳太郎代表と一緒に曲阜へ行く企画がある。この機会を逃すと一生後悔するぞ。私は必ず行く。その時そう決意しました。実は私の論語普及会への道は、日創研SA研修がスタートです。そこで「致知」と出会い、西宮木鶏倶楽部に入会しました。その後は前回までに書いた通りです。日創研なくして今の私は考えられません。
 青島空港では孔子七十七代直系子孫孔徳懋先生の代理で七十五代孔祥林曲阜孔子研究院副院長が直々にお出迎えいただき、曲阜では文化遺産の孔府九如堂にて熱烈歓迎の夕食会を開いていただきました。孔子廟でも大成殿の中で論語の素読をさせていただき、衍聖公府でも一般の人達では入れない所まで入らせていただきました。曾子廟でも、孟子廟でも地元の人達の大歓迎を受けました。普通のツアーでは経験の出来ないことの連続でした。伊與田先生や論語普及会の諸先輩方の大いなる功績を感ぜずにはいられない毎日でした。感謝の気持ちで一杯です。又、論語を通しての日中友好の歴史を未来に引き継いでいかなければいけない、そんな使命的なものも感じる旅になりました。
 六年前とは違い、今回は曲阜市内の顔廟にもお参りできました、「顔回なる者有り、学を好めり」私は貧しい中で倦むことなく学び続けた顔回に一歩でも近づきたいと念じている二千五百年の時空を超えた弟子の一人です。
 そして曲阜の新市街南の沂水の北側にこんもりと林が残っている「舞 台」、論語普及会会員の小笠原さんが寄付して出来た「尼山足利希望小学校」、孔子が四書・五経のひとつ春秋を書き記したと言われる「春秋書院跡」、尼山の麓の孔子生誕伝承の洞窟「夫子洞」、そして「尼山孔子廟」を訪れました。
 尼山孔子廟の尼山山下の眺望を一望出来る一角に小さな亭があり「観川亭」と書かれてあります。「川の上に在りて曰わく、逝く者は斯くの如きか。晝夜を舍かず」ここで孔子は川の流れを見ながら喚声を発した所と言われています。孔子さん貴方は川の流れを見て何を思ったのですか。私には本当のことは知るすべもありませんが、さて、私のこれからの旅はどうなるのだろうか。五十にして天命を知る。貴方はおっしゃいました。私の旅はまだ半ばです。今の自分自身が「天命と信じて人事を尽す」間断なく訪れる難関を乗り越え続けていくしかないのですね。
 私の旅はまだまだ続きます。又、来ます。貴方が今なお生き続ける曲阜の地で自分の人生を考えるために。
 そして、再び同じ場所を訪れたのは平成二十四年四月です。次は何時になるのだろう。

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