孔子と諸先生方に導かれて(第二回) 論語との出会い 本会理事 宮武清寛
神戸の「論語を楽しむ会」では色々な経験をさせていただきました。
 初心者の私を含め三人が交代で「論語」の素読の先唱をする事になりました。当時は斯文会の「訓点論語」で素読していましたから、予習無しでは読めません。しかし私には、その事がいい勉強になりました。
 翌年三月には、講師の村下好伴先生が体調を崩され、例会を欠講されることとなりました。急遽長谷川会長が講話をされ、その後出席した一人ひとりが「論語の好きな一章」と題して話をしました。その時に録音されたものが、論語を楽しむ会五周年記念の文集となりました。
 こんな文章です。  『私は記憶力が弱いので「仮名論語」には付箋をつけています。善いなと思うと付箋を付けるんですがずいぶん沢山になってしまいました。その中から一つ選び出したのがこの「徳不孤必有鄰」です。実は去年叔父の古希のお祝いで田舎に帰った時気がついたのですが宮武家本家の仏壇の上に掛かっていたのがこの六文字を書いた軸でした。
 そして、私は今年から四国八十八ヶ所の歩き遍路をしています。休みの関係でどうしても区切り打ちになってしまいましたが、前回は十一日間かけて三十五番札所まで歩きました。その最後の日三十五番清瀧寺へ向かう道中に脳裏に浮かんだのがこの「徳不孤必有鄰」でした。というのはその清瀧寺では私の父と母が待っていてくれるからです。私は辛いしんどい道のりをそして今までの人生を一人で歩いてきました。いや一人で歩いてきたと勘違いをしていたんです。でも、目的の場所には私のことを心配して年老いた父と母が待っているんです。それだけでは有りません。家では妻と娘が私の留守を守ってくれています。又、心配して連絡をしてきてくれる友がいます。会社で私のいない間支えてくれる人達がいます。道中声をかけてくれる人達がいます。歩いている間中いろんな人達の顔が浮かびました。そうです、この人達に支えられ、そして一緒に生きているんだと実感しました。
 「徳不孤必有鄰」報いを求めず、陰徳を積んでいる者は、決して一人ぽっちではない。必ず思わぬところにこれを知る者がいるものだ。
 中江藤樹先生が「吾れ徳有らざれども隣有るの楽しみあり」と言ったそうですが、お世辞にも、徳を積んでいるとは言えない私でも回りには多くの人達がいます。こんなに沢山の人達に見守られながら私の人生があります。それを実感しました。
 その人達から本当の意味で慕われる、そして頼りにされる人にならなければいけませんね。
 これから先、皆さんと共に切磋琢磨しながら論語を楽しんで学んでいきたいと思っています。皆さんよろしくお願いします。』
 平成十三年十月設立五周年を記念しての「国生みの神話」で有名な伊弉諾神宮に正式参拝と記念講演会では、お世話をさせていただきました。その時の代表世話人の仁出川さんより伊與田先生揮毫の色紙をいただきました。「仁・恭寛信敏恵」と書かれています。名前の一字が入った色紙は私の宝物の一つです。

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