第十二回 「人間万事塞翁が馬」 京都・衣笠三省塾塾主 長野 享司
 一年間「心にうつりゆくよしなし事をそこはかとなく」書きつづってまいりました。もとより一布衣(平民)の私がこのような晴れがましい場に書かせていただくこと自体が「場違い」だったと反省しております。
 ただ私自身、この連載を続けていくうちにしみじみと心に感じることがありました。それは「人間万事塞翁が馬」ということです。「人生って本当に何がどうなるやらわからないものだなあ」という思いです。ご存知の通りこのことわざは、良いことが不幸の原因となり、その不幸が今度は幸福の原因となる、という意味で使われています。「禍転じて福となす」その意味は知ってはいたものの、自分の半生を振り返ってみると本当にその通りだと思いました。さほど大きな波乱もない凡々たる私の人生でしたが、それでもそう感じます。
 そう感じた事例を再度あげてみたいと思います。
一、私はもとより成績の良い子ではなかった。ゆえに主要教科では勝てない、だから人が目にとめない漢籍の勉強に入った。これなら勝てる。今では漢籍が人生を支えてくれている。
二、私はもとより運動が苦手だった。その苦手克服のために武道に入門した。それが消極的な人生を前向きに変えてくれた。(ただし今でもスポーツは嫌いである。)
三、勉強があまりできなかったので三流大学へ進み中小企業に就職した。しかも旧態依然たる呉服問屋の営業、私が一番したくないのが営業であった。しかしこの経験が論語の理解にとても役に立った。
四、呉服屋という斜陽産業にいたおかげで、商売とは、会社とは、人生とは、色々なことを考える機会を得た。もし安定した職場にいたら先のことなど心配しなかっただろう。友人は定年になってどうしようと言っているが、私には確固たる進むべき道がある。
五、地元企業に就職したことで、親孝行ができ家やお墓を守れた。頭が悪かったお陰である。優秀な人は東京へ出たり、転勤族であったり、もとの育った家が空き家になっていたり、家族もバラバラになっていることが多い。
六、劣等感の多い人間であったため器用な恋愛などできるはずもなく、お見合い結婚。「私のような男に、しかも両親同居の家に嫁に来てくれた」という感謝の念があったため夫婦ゲンカはほとんど無く今も何とか続いている。もし優秀な男ならば「嫁に拾ってやった。誰のおかげで…。」と偉そうなことを言ってもめていたかもしれない。
 こんな感じで私の人生はマイナスがいつの間にかプラスに転じていたのでした。
 松下幸之助氏は、ご自分の人生で「貧乏・病弱・低学歴」というマイナス要因が結果として良かったと述べておられます。百朝集にも「三不幸」という頁があります。私が若い人たちに伝えたいことは、若いうちに人より優秀になろうと思わないことです。若い時の優秀さは、結果として努力を怠り、人を見下げて、傲慢な人間になってしまいます。それは本人にとって不幸なことです。若いうちは「地下三尺に埋もれる」気持ちで下積みの経験をして腕を磨くことです。
 一年間ご愛読ありがとうございました。またどこかで見かけたらお声をかけてください

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