「石田梅岩との出会い」(その一) 京都・衣笠三省塾塾主 長野 享司
  前回は呉服屋という仕事の中で、石田梅岩という先達に出会ったことに触れました。石田梅岩先生は、江戸中期の人で京都亀岡の出身、享保十四年(一七二九年)京都にて庶民を対象に講席を開かれました。その教えは商人には商人の道があることを、儒教や仏教の言葉をひきながら町人にわかりやすく説かれました。やがて「石門心学」として全国に広まっていきます。特に京都の商家には深く浸透していたようです。当然私たちの会社(享保十年創業)にもその教えは生きていました。「正直・勤勉・倹約」「我も立ち、人も立つ」この精神が商売を百年・二百年と継続させてきたのです。現在京都にある老舗と呼ばれる古いお店は、おおよそ梅岩以降の創業が多いのです。
 私は仕事をしながら、自分は本当に「正直・勤勉・倹約」の道を歩んでいるのか?と、あるいは本当にお客様のことを第一に考えているのかと自問自答しました。答えは否でした。今までの安易な人生を反省する貴重な機会に恵まれましたことは、今から思えばありがたいことでした。人生とは不思議なもので、もう少し先行き明るい会社に入っていればこんな悩みにぶつかることはなかったと思います。斜陽業界であったがゆえに、来し方行く末を真剣に考える機会を与えられたのでした。
 しかし、理想と現実はなかなか一致しません。お客様に喜んでいただける良い品物を提供したい、しかし「着物はもういらん!」と言われる。それがどんな良い品物であっても…。それでも売り上げは作らねばならない、売るだけでなく利益も出さねばならない、さあどうする?こんな状況の中で頭を悩ます日々が続きました。社内で「商人の道」などと言おうものなら、「理屈こねてるヒマがあったら、得意先回ってこい。」と言われるのがオチでした。これはただにわが社のみならず業界全部の実情で、結局無理な売り方や極端な安売りなどを繰り返した挙句、呉服屋はバタバタと倒産していきました。
 京都で「室町(むろまち)」と言えば呉服繊維業界を指す言葉です。室町通りに問屋が集中していたからで、かつては仕
 堂々たる呉服商家の店構え(大正時代)
入れや販売に来る全国の業者、集配の運送屋さんのトラック、またその隙間を縫うように走る自転車やバイクの群れで「室町通り」は混雑・渋滞する道の代名詞でもありました。現在室町通りを眺めると、頑張っておられるお店が踏ん張ってはいるものの見通しの良い通りになりました。自業自得とは言え、この二十年ほどの間に百年以上の歴史を持つ立派なお店がたくさん消えていったことは、惜しんでも余りあることです。
 梅岩先生の教えを忘れた結果でありましょう!

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