「論語との出会い」 (五) 京都・衣笠三省塾塾主 長野 享司
 人生には「季節がある」といわれます。勉強の季節、仕事の季節、趣味の季節など、すなわち毎日を何に重きを置いて生活するのかということです。人生の中では、若いころは勉強や遊びが中心、三十代からは仕事や子育てが中心、また五十代くらいになると違う分野にも目が向く、六十を過ぎると社会奉仕か趣味三昧、そのような人生の季節があるという話です。
 吉田松陰先生も「留魂録」の中に「四時の順環において得るところあり。(中略)十歳にて死する者は十歳中自から四時あり、二十は自から二十の四時あり、三十は…(後略)」と書かれています。三十歳で人生を閉じられた松陰先生、そしてはからずも六十の齢を超えた自分の四時(季節)はいかなるものであったのか、又これからはいかにあるべきか、人生の季節を考えたのは四十代の後半でした。
 私にとって三十代四十代は仕事に忙殺されていた季節でした。前々回に触れたように勉強は少しおろそかになっていた時期です。四十代も後半にさしかかった頃、仕事を教えてもらった上司の方々が定年で去って行かれました。その上司や先輩の定年後の姿を見て愕然としました。あの怖くて厳しかった上司が「ただの人」になっておられたからです。そして定年後に会社に来られた元重役さん元部長さんに社員は挨拶もロクにしないのです。「サラリーマンっていったい何なんだろう?」「みんな肩書きに頭を下げていただけか!」「結局、何も残らないのか!」「人生って?」「会社とは?」「仕事とは?」次々と疑問がわいてきて、私はまた漢籍の本を読むようになりました。論語普及会に入会したのもこのころです。(この頃の心境は「論語の友」二〇〇六年四月一七一号に書かせていただきました)
 安岡先生のご本を読みながらサラリーマン人生を考えました。論語の言葉が新たな感激を以て心に沁み込んできました。知っていた言葉なのに、初めて聞く言葉のように聞こえました。全く気にも止めなかった言葉が今はズシリと響きました。
石田梅岩先生像
 折りしも仕事の中で悩むこともありました。着物が売れない、売り上げができない、無理をする、摩擦が起こる、という悪循環に陥りました。そこで出会ったのが、石田梅岩という江戸時代京都で活躍した心学の祖と言われる学者でした。なんと梅岩先生は呉服屋の番頭さんから学者・思想家へと転身していかれた方なのです。呉服屋の仕事をしながら、いつも本を手離さなかったちょっと変わった商人だったようです。梅岩先生は呉服屋の私にとっては他人のような気がしない先達でした。
 「もう一度しっかり勉強しよう!」と思い直したのは、バブルがはじけてトンネルの中を走っている二十世紀の終わるころでした。

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