「論語との出会い」 (二) 京都・衣笠三省塾塾主 長野 享司
 昭和四十七年、龍谷大学文学部史学科へ進学しました。一般教養課程の選択科目の中で迷わず「漢文」を選びました。大学の漢文授業というものに憧れと期待を抱きつつ教室に入りました。ただし一般教養科目ですから、専門の講義ではありません。大教室で百人くらいが受講し、ほとんどが居眠りをしているような授業です。しかし驚いたことに、先生は羽織袴に威儀を正して入ってこられました。高校時代の国語教師の授業とはひと味もふた味も違った姿と講義に私は感激し懸命に耳を傾けました。教材は簡野道明先生監修の「古文真宝粋」と「文章規範」、中でも諸葛孔明の「出師の表」や韓愈の「師説」など、初めて読む文章にまたまた感激のひと時でした。先生は「出師の表を読みて、泣かざる者は忠臣にあらず。」と昔から言われているのです、と教えてくださいました。この時の二冊の教科書は今でも大事に残してあり、時おり開いては懐かしく思い出しています。
 そんな折、新聞のチラシに「魂の塾、衣笠三省塾開講!」と書いたものが目にとまりました。日本人の忘れた魂を呼び起こす塾という触れ込みで、講義内容は頼山陽の日本外史、論語、孟子、漢詩など、場所は近くの神社でした。講師は当時京都市会議員をしておられた木俣秋水先生という自民党の論客でした。私は迷うことなく入塾しました。そこには十五人くらいが来ていました。学生、社会人、主婦、小学生などバラバラの生徒でしたが、この小さな塾で約十年間学びました。漢文の素読ですから、先生の先唱についていくのが精いっぱい、子供や女性はなかなかついてこられず声が小さくなり、二?三人の男性が何とか声を出しているという状態でした。
 木俣先生は「最近の学校ではこういうことは教えないでしょう。しかしこれこそが大事なのです。日清日露の将軍と大東亜戦争時の将軍の違いは漢籍の素養の有無の違いです。」「江戸時代の日本人の識字率は世界一だったのです。それは庶民までもが寺子屋などでこのような素読をしていたからです。明治の発展の基礎は江戸時代にあるのです。」と言われたことはいまだに覚えています。当時の私たちは日本の悪いことは教えられても、良いことは知りませんでした。それ故に識字率が世界で一番という事実に驚いたことを懐かしく思い出します。
 この塾での経験が、その後の私の人生を支えるものになろうとは、当時は想像だにしませんでした。

写真は昭和53年奈良県吉野へ行った時のもの。
中央が木俣秋水先生、その右後ろが筆者。

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