「私の修身トライアル」 (九) 梅田・論語に親しむ会会長 有隣論語塾塾長 岸本千枝子
子曰わく、由、女に之を知るを誨えんか。
これを知るを之を知ると爲し、
知らざるを知らずと爲す。是れ知るなり。
(「仮名論語」爲政第二 一八頁)

 平成九年七月七日夜九時、その年の《雨安居夏末大摂心》が終了した。途中で逃げ帰ることなく、曲がりなりにも終えることが出来た。久しぶりの俗世界。JR新大阪駅で下車しホームの階段を昇る。何かに後押しされているように軽やかにかけ昇った。地下鉄駅まで数分。足が地面を踏んでいない。宙を、浮きながら歩いているかのようだった。その感覚は不思議現象として鮮明に覚えている。単純に「ダイエット効果」とは思いたくない。
 大摂心では当然ながら悟りには至らなかった。大先輩の川柳に全く共感である。
 悟りとは無縁で過ぎた坐禅堂(吉田 亘氏作) 終了後、それまで参加していた「一犂会」を退会し、禅塾で行われている本格的な禅会「擔雪会」に参加。盤珪永琢禅師の「不生禅」に出会う平成十四年まで、毎月一回長岡禅塾に通った。大摂心に参禅した直後、老師の著書「論語と禅」を読んでも頭に入らなかったが、年月を経て、数年前から漸くにして読んで味わえるようになった。論語に導かれるようになるまで十年以上の歳月を要したということになる。偶々お目に掛かる老師には今でも辛辣なご教示を戴いている。再拝。
 雪のしんしんと降る冬の夜…。道に迷った旅人が、人家の戸を叩く。この夜更けに何事?と、主人は門口に出てくる。そして、いま旅人が歩み来たった雪の上に目をやり、旅人の足跡を見て腰を抜かさんばかりに驚く。主人は言う。「あなたは運の強い人だ。あなたの歩いてきたあそこは実は沼である。薄い氷の上に雪の積もったその上を、あなたは平気で歩いてきた。地理を知った私達には、それは絶対に出来ぬことである」と。(「般若心経の読み方」 ひろさちや著より)
 先年の指導者講座で『人生にムダはない』『人間は、氷山の一角のように表面に出ている少しより、下に沈んでいるほうがはるかに多い、というように、自分自身を充実していかれると良い』と伊與田先生はお教え下さった。
 また…『形のないものが見えるようになり、音なき音が聞こえるようになって、そうして初めてわかる世界がある』…伊與田先生が何度も話されている言葉。どのような境地に至ればその『わかる世界』の扉を開けることができるのだろうか?
     (この項終)

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