「私の修身トライアル」( 七) 梅田・論語に親しむ会会長 有隣論語塾塾長 岸本千枝子
子曰わく、法語の言は、能く従うこと
無からんや。之を改むるを貴しと爲す。
(「仮名論語」子罕第九 一二二頁)


 毎日九時から一時間、図書室で老師の提唱(講義)を聴講した。全員で「興禅大燈国師遺誡」を読誦し、講義が始まる。教本は「塗毒鼓」。和綴じの分厚い漢字だけの書物で、ちんぷんかんぷんだが、禅の代表的な語録を集めた書で「禅宗無門關」・「雪竇百則頌古」・「臨済録」等々である。
 「塗毒鼓」の表面的な意味は、「毒を塗った鼓」で、《毒を塗った鼓を打てば、その声を聞く者は皆死んでしまうという猛毒の響きをもつ鼓》だが、真の意味は、《仏の真実の説法が響き渡ると、それはあまりにも気高く、あまりにも劇薬であり、下手にそれを聴くと死んでしまう。それはまた、効き目が非常に凄い薬で、貪瞋痴の迷いがこれによって全部解毒されてしまう》というもの。…塗毒鼓の意味や「貪瞋痴」については、帰宅後の読書に由る後付けの知識である…。人間の三毒(貪欲・瞋恚・愚痴)が解毒されるとは!どえらい本で勉強していた訳だ。
 「塗毒鼓」二冊にはいっぱい書きこみをしているし、ノートにも聞き書きがある。にも拘わらず、悲しいかな、今記憶を辿っても講義内容を系統だって思い出すことが出来ない。はじめは緊張してお聴きしているのだが、難しい漢字、突飛な禅師の問答事例などの講義で、脳は拒絶現象を起こして遮断され、居眠りをしていたのだろう。心地よさそうに往復鼾をかいている人もいたので、つい脳波が共鳴したのかも知れない。
 老師のいくつかの言葉、叱られ、怒鳴られた数々をノートから拾い出して見よう。全部私に向かって言われた言葉と受け止めた。
【お経が読めんでも口パクパクぐらいせえ!】
…ハッ!とする。そうか、間違って恥をかいてもいいんだ。真剣に取り組む気持が大事なんや。
【はじめから疑いを持ったらこの道には入れない】
…ウーーン。疑うほどのレベルになってない。
【大摂心の前に下準備がないといけない】
…まことにご尤も。ただ坐禅時間を辛抱するだけだろうと安易に捉えていたバカな私。自発的に尋ねないで、事前に何も言ってくれなかったと不満に思う。まさに「くれない族」に堕していた。
【世の中に問題のない人間はいない。人を救うためには先ず自分が泳げないといけない。泳げない人が人を助けることを《世話焼き》という。
】…私がまさにそれです。私はカナヅチ。泳げない。お節介。余計なお世話係。
(続く)

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