「私の修身トライアル」( 四) 梅田・論語に親しむ会会長 有隣論語塾塾長 岸本千枝子
当時の私
子四つを絶つ。
意毋く、必毋く、固毋く、我毋し。
           (「仮名論語」子罕第九 一一一頁)


外界の音が聞こえてくる。蝉の鳴き声…よう鳴くなぁ何とうるさいことヨ。…遠くの道路を走る車のクラクション…。お腹がすいた、食事までまだ大分あるのか…。喉が渇いた、水が飲みたい。アッ!喉が渇いて水を飲みたいと思うのは、これは欲求ヤ。飲みたいときに自由に飲めない、…これが修行ナンヤ。トイレに行きたい…すぐに行けない…これが修行ナンヤ。お連れの人と喋りたい…一切お喋り出来ない…これが修行ナンヤ。
 日々、歯止めのない気儘空間で生きてきた私は、そのレベルで自分と向き合っていた。
 坐禅中、何回か【経行!】と掛け声がかかる。直日さんの先導で禅堂の外を何度も行ったり来たりする。経行が、座禅中の眠気を防ぐため、また運動の為に一定のところをめぐったり往復したりすることだと知ったのは帰宅後、禅の書籍を買い求めて読んでからである。無知の極み。経行中、歩きながら「坐禅はしんどいですねぇ」と、共感したくて前の人に小声で囁いたところ、経行を終えて禅堂に戻り、単に坐る前に直日さんに【私語はしないでください】と注意をされてギョッとした。聞こえていたのですか?こういう場合、謝る「ハイ」の返事も私語になるのだろうか?
 食は儀式。食は修行。朝は粥座。お粥と梅干半かけ・たくあん。昼は斎坐。ご飯と一汁一菜。夜は薬石。ご飯と一汁一菜か二菜。毎食うっすらと色のついたお茶が出た。
 初めて食堂で食事の折、マイペースで食していて、周りがシンとしているのに気づいて見回すと、全員が私を注視している。ハッとして大急ぎでかきこんだが、退出時に『もっと早く食べて周囲に合わせてください』と直日さんに囁かれた。ゆっくりよく噛んで食べなさい、と躾けられてるのよ…言い訳が口をついて出そうになる。大学生の参加者は若いだけにどんぶり山盛りのご飯をかーっと食べる。典座さんに「食事量を半分に減らして下さい」とお願いし、以後は米食を半分にしていただき、ようやく全体の流れに調和できるようになった。ご飯を口いっぱいにほおばり、お汁で流し込む。おかずを食べる。この繰り返しで、噛んで味わうヒマはない。なんとか皆に合わせた速度で食を終え、折水偈を読誦出来るようになってからは食の緊張感が少しとれて気持も安定した。ちなみに便通は七日間で親指二本分ほど。大地の恵みをよく摂取出来ていたわけだ。(続く)

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