「私の修身トライアル」(三) 梅田・論語に親しむ会会長 有隣論語塾塾長 岸本千枝子
参禅の一式
作務衣・草履・着物と袴・教本「塗毒鼓」・「禅宗日課聖典」
朽木は雕るべからず、糞土の牆は杇るべからず。
(「仮名論語」公冶長篇五三頁)


 突然直日さんが【総参!】と明瞭に発すると、全員スワッと立って草履をつっかけ、斎堂を目指して脱兎の如く駆けだす。大摂心前夜、『総参の時だけは奔ってよろしい。草履を脱ぐときも揃えなくてもよろしい。最後の者が全員の草履を揃えて後尾に並ぶこと』、と説明されていた。私は一日目から毎日三回全員の草履を揃えることになった。坐禅していて突然【総参!】と掛け声をかけられても意識朦朧、両足は痺れて急に立つことが出来ないのだ。ヨロヨロと立ちあがる。痺れた両足には感覚がない。一瞬、歩けるのか?まさか…と思ったが、無感覚でも右、左と足を前に出すことが出来るし、歩けることが体感できた。あの時の私の顔つき、立ち居振る舞いはどのようなものだったろうか?今しみじみと振り返る。
 痺れて感覚のない足指に見当をつけて草履を噛ませ、ノタノタと長い廊下を行く。初めての総参からビリだという明確な諦め。あの駆けっこでいつも機敏に動けない私の、ノタ…ヨロ…と足を運ぶ姿。自分でも情けない。後ろに誰もいない…しかし何かの視線を背中に感じていた。斎堂前の上がり框の前で、腰をかがめ、飛び散らかった一足一足、全員の草履を丁寧に並べ揃えた七日間。
 斎堂に並び、チリンという合図で順次、老師との公案問答の為に入室独参をする。公案は優れた禅僧の言葉や行動の記録を課題として修行者に示し、悟りに導くために工夫させるもの。入室して老師に拝礼する。見よう見まねで!とは言われたが、そのしぐさまでは見本が無い。映画で見た記憶を元に平伏低頭。両肘を床につけ、掌を上にして虚空で仏足を受け、頭を床につけて三拝する。
 老師から与えられた公案は【隻手の工夫…両手を叩けば音がする。片手に何ぞ音のある?】であった。…両手を打ち合わせればパーンと音がする。片手(隻手)では如何にするも音が出ない。その音を聞くべく工夫せよ。有名な白隠禅師の公案である。隻手の音は耳で聞くべき音ではない。思慮分別を交えず、見聞知覚を離れて隻手の音を聞くように務める???…
 まともな禅問答が出来るはずもなく、三拝ののちのひと言二言ですぐにチリリンと鈴を振られ、【出て行け!】の合図ですごすごと鶯張りの長い廊下を引き下がる。禅堂で坐禅に戻っても、心が統一され安定した状態…三昧の境地…隻手になりきる…ことは到底出来なかった。

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