「私の修身トライアル」(二) 梅田・論語に親しむ会会長 有隣論語塾塾長 岸本千枝子
 樊遅従いて舞雩の下に遊ぶ。曰わく敢て徳を崇くし慝を修め惑を辨ぜんことを問う。
 (「仮名論語」顔淵篇一七五頁)
 試練の始まりは大摂心開始の前日、禅塾に入ってすぐだった。世話役の直日さん(大学生)から大摂心の進行について説明を聞いている時だ。??となって質問をする。『質問はしないでください』ピシリと注意された。辛抱して聞いているが、やっぱり七日間どうふるまっていいのかが分からない。「参禅はどうやればいいんですか?」するとジロリと見据えられ、ひと言『見よう見まねで!』「ハァー……」夜、寝床に横たわるがなかなか寝付けない。悶々反転する。それもそのはず。摂心とは、精神を一つの対象に集中し散漫な状態にならないようにすること。自己に対峙する、自己究明の修行でもあると説明されていた。「…エライとこに来てしもうた…帰りたい…」
 大摂心の一日は、朝三時四十五分起床・夜坐を終えて十時二十分就寝。十二時間の坐禅、三回の総参(老師との公案問答)、二時間ずつ二回の作務、一時間の老師の提唱、三回の食事(粥座・斎座・薬石)、茶礼一回(おやつ)、二便往来四回(トイレ)、随意座二回、睡眠五~六時間、禅定…三昧の境地を目指す。七日間、悟る境地には到底至らなかったが、心に潜む我や欲求、何気ないクセには嫌という程気付くことになった。
 未明、殿司が板を叩いて起床を促す。鶏告である。禅堂の外壁に掛かっている板を槌でカンカンと打って起きろ!と眠りを破るのだ。飛び起きて着物と袴で身支度を整える。草履を履いて禅堂への廊下に黙して整列する。直日さんを先頭に姿勢を正して禅堂に入り、観世音菩薩に拝礼して各自の単に坐る。白隠禅師の「坐禅和讃」「大悲圓満無礙神呪」「般若心経」等を読誦した後、直日さんが鳴らす引鏧のチーンという合図で坐禅修行に入る。
長岡禅塾
 たちまち完全な静寂に包まれる。しばらくするとスースーという鼾?が聞こえてくる。坐睡だろうか。禅塾は長岡天神の山側に位置し、周囲は池や庭園、竹林、里山の風情を残す。身体は汗が流れている。藪蚊が襲う。ブスリ!やっぱり刺された…思わず痒くて掻きむしる。『止静中は動かないでください』静寂の底を伝う鋭くビシリとした叱責。フハァー…。刺されて掻いてしまうのはなぜか。身に堪えられない痒さを消し去りたいからだ。蚊と一体化すれば痒くないのだろうか。蚊になりきるのが禅で言う三昧の境地なのか?(続く)

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