「私の修身トライアル」(一) 梅田・論語に親しむ会会長 有隣論語塾塾長 岸本千枝子
亡くして有りと為し、虚しくして盈てりと為し、約しくして泰かなりと爲す。難いかな恒有ること。
( 「仮名論語」述而篇九〇頁 )
 企業に組織人として組み込まれ、職責を担って働いていた頃は、一日の実働が十時間から十三時間、自己への再投資に割く時間的なゆとりを持つ余裕もなく、日々の職務を全うすることに精いっぱいの日々であった。、その反動もあって、起業後は誘われるまま様々な勉強会に参加していたが、その一つが大阪市内の会場で禅を学ぶ《一犂会》であった。長岡禅塾の半頭大雅老師を迎えて、坐禅、その後一時間ほど、老師の提唱に学び、食事を交えて歓談するという内容であった。
 ある時、終了後にお声を掛けられた。長岡禅塾で行われる七日間の《雨安居夏末大摂心》に勧誘されたのだ。
 もの凄く厳しい。誰某は二日で逃げ帰った。あんたやったら大丈夫や。時計も携帯もダメ。音信不通になるから親兄弟が死んでも帰れないよ。汚れても風呂には入れない。私語厳禁や。作務があるから汚れてもいい運動靴も持って来なさい。
 予定された日程に入っていた仕事先の経営者に恐る恐るお願いしてみた。「申し訳ございませんが、七月三日の予定を変更願えませんでしょうか?」『何で?』「一日からの禅の大摂心に参加を考えているのです」『それはいい!ぜひいっていらっしゃい。僕も永平寺や広島の坐禅道場などに三回行った』あまりにも簡単に薦められ、「しんどくないでしょうか?」とお聞きすると『全然。坐禅は欲求を持たんかったらいい。我欲さえ無くしたら、しんどいことなんか何もない』と。そんなものか…。私は我欲が強い方ではない…まあいい経験になるかも…程度の安易な心構えで参加を決めた。女性の参加が初めてということは終了後聞かされた。
いまから十七年前の夏のことである。(続く)
長岡禅塾全景(昭和57年朝日新聞撮影)
【公益財団法人長岡禅塾】
岩井商店(現・双日株式会社)の創業者岩井勝次郎氏が私財を投じて京都府長岡京市に設立。設立趣意書には「大乗禅の義塾を興し、斯道を体得して、以て社会人心を啓発、教導せんとする人格者を養成し、且つ又諸方より来たって参究せんとする有志の為にも、寮を設けてその便に備えんとす」とある。開塾は昭和十四年。大学生の育英と社会人の禅会活動。海外からも多数の参禅者がある。学生は個室を与えられ、朝夕の参禅と軽い作務、自由な学習。(寮費・食費は支援)学界・政界・財界に幾多の人物を輩出している。社会人の禅会は「護法会」「旛雪会」他。

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