2013年3月 「論語と道元禅師」(十二) 本会副会長 目黒 泰禪
「雪裏の梅花只一枝」
 暦の上では五日が啓蟄であるが、今年は依然寒さが厳しい。「歳寒三友」(松竹梅)という言葉がある。孔子が「歳寒くして、然る後に松柏の彫むに後るるを知るなり」(『論語』子罕第九)と述べた松柏には、中国人のみならず日本人も、特別な思い、そう在りたいと願う、ある種の憧れのような思いを抱く。
 「降り積もる 深雪に耐えて 色変えぬ 松ぞ
雄々しき 人もかくあれ」
 昭和天皇が終戦の翌正月にお詠みになられたこの和歌に、如何なる艱難に遭遇しても些かも挫けない、との思いで多くの国民が応え、今日の日本の姿がある。世代を問わず、この一首に奮い立つのは私だけではない筈。
 中国の詩人では、「帰去来兮の辞」で知られる陶淵明(六朝東晋、三六五―四二七)が好きである。陶淵明の詩は「固窮の節」とか「暮春に遊ぶなり。春服既に成り」、「沮溺は を結にす」など、折々論語の章句が詠み込まれている。私のお気に入りは、「擬古」と題された詩のひとつ、その詠いだしに「松柏」の二文字を使わないで表現するところである。

蒼蒼谷中樹 蒼蒼たる谷の中の樹
冬夏常如茲 冬も夏も常に茲くの如し
年年見霜雪 年々に霜雪に見う
誰謂不知時 誰か時を知らずと謂うや

 
 さて道元禅師の「歳寒三友」は誰であろうか。孔子の松柏に対し、道元は梅花である。『正法眼蔵』に「梅花」の巻があり、先師如浄禅師が詠った「雪裏の梅花只一枝」や「春は梅梢に在りて雪を帯して寒し」などを引いて、法を説いている。「雪裏の梅花只一枝」は、釈迦の悟りは雪の中の梅花が一輪咲いたところにある、いまここただいま現出した、の意味である。道元もまた「雪裡の梅花一枝綻ぶ」、「寒梅一点芳心綻ぶ」(『永平元禅師語録』)と詠う。梅花の詩と言えば菅原道真(八四五―九〇三)を思いうかべる人が多い。道元は四十五歳の時、道真の命日に天満天神へお参りし、道真が十一歳の時に初めて詩作したという「月夜に梅花を見る」に和韻して、次のように詠む(『永平広録』)。
 
春松何怕厳冬雪 春松何ぞ怕れん厳冬の雪
老樹梅花飛似星 老樹の梅花飛んで星に似たり
天上人間三界裏 天上人間三界の裏
眼睛鼻孔見幽馨 眼睛鼻孔幽馨を見る

 
 その道真の本韻である「月夜に梅花を見る」も聞香頂きたい。

耀如晴雪 月の耀きは晴れたる雪の如く
梅花似照星 梅の花は照れる星に似たり
可憐金鏡転 憐れむ可し金鏡(月のこと)転じ
庭上玉房馨 庭上に玉房の馨れるを

Copyright:(C) 2012 Rongo-Fukyukai. All Rights Reserved.