2013年2月 「論語と道元禅師」(十一) 本会副会長 目黒 泰禪
「水にすむとき、魚をつるあり、人をつるあり、道をつるあり」
 
 承前でお願いしたい。山を大いに語ったので、水にも触れないと片手落ちとなる。海からの御来光は、伊勢の二見が浦に比べるものがない。何と言っても富士山が夫婦岩の向こうに望め、そして太陽が昇る。ほんとうに心洗われる。当に禊浜である。
 私事になるが、四年前の正月十一日、娘一家と五人で伊勢神宮へお参りに行った。実はその前日、家内が伊勢神宮にも初詣したいと言う。思いたったら直ぐ実行である。ところがそれを洩れ聞いた娘が、一緒に行きたいから明日の十一日にしませんかと言う。何故十一日にこだわるのか意味が解らないまま、婿の運転で二見が浦へ。富士山を遥拝し、御来光に手を合わせた。そのあと内宮外宮を参拝、おかげ横丁もぶらぶらし、そろそろ帰ろうと車に乗ると、おやっ、さっきと同じ道ではないか。気がつかなかった、その日は十五夜さんであった。家内と私に、夫婦岩から昇る満月を見せたかったのだ。婿の粋な計らいである。その瞬間まで雲がかかっていたが、思いが通じたか雲が散じ、堂々たる満月であった。覚えず手が合わさる。
 余談ついでに、四方を海に囲まれた日本では、朝日は水平線か山から上るので、地平線から昇る太陽は拝むことが出来ないと言われている。しかし、しかしである。私の生まれたオホーツク海は、流氷が接岸する厳冬期には、真っ白な地平線から朱い太陽が昇るのである。子供時分に、これが地平線か、ここを歩いて行けばアメリカに渡れると思ったものだ。実際に地平線を見たのはそれから約二十五年後、インドネシアの首都ジャカルタであった。赤道に近いと朝日がこんなにも大きくて赤いのかと、今でもその記憶が鮮烈に残っている。 さて道元禅師は『正法眼蔵』山水経の巻で「むかしよりの賢人聖人、まゝに水にすむもあり。水にすむとき、魚をつるあり、人をつるあり、道をつるあり。これともに古来水中の風流なり」と言う。本来この行は、船子徳誠禅師が華亭江において夾山善会を得た故事をいうのであるが、私はいつもここを読むと『十八史略』の文王が、呂尚に渭水の陽に遇うを髣髴とさせられる。呂尚が文王を釣ったのか、呂尚が釣られたのか、共に道を釣ったか。
 昔日のこと、永平寺か私の生まれた寺であろうか、曹洞宗七十一代管長高階瓏仙禅師の水四訓「自から活動して他を動かしむるは水なり。常に己れの進路求めて止まざるは水なり。障害に逢ひて激しく勢力を倍加するは水なり。自から潔くして他の汚濁を洗ひ清濁合せ入るる量あるは水なり」を目にした。水の「動き」「楽しみ」である。特に二番と三番目の水の不屈の意志が好きである。『論語』の「子曰わく、知者は水を楽しみ、仁者は山を楽しむ。知者は動き、仁者は静かなり。知者は楽しみ、仁者は壽し」(雍也篇)の言葉は、原文僅か二十二文字であるが、水の永劫流転の智と、山の永遠不動の仁は、山水画や渓声山色詩のみならず、東洋思想に深く影響を及ぼしている。

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