2013年1月 「論語と道元禅師」(十) 本会副会長 目黒 泰禪
「山は国界に属せりといへども、山を愛する人に属するなり」
 
 元旦の御来光は神戸では六甲山頂と菊水山が好きである。『論語』に「子曰わく、知者は水を楽しみ、仁者は山を楽しむ」(雍也篇)とあり、山に登るだけで仁者になれそうで嬉しく思う。特に論語に親しむようになってからは、登山仲間が皆仁者に見えてしまう。
 道元禅師は「おほよそ山は国界に属せりといへども、山を愛する人に属するなり。山かならず主を愛するとき、聖賢高徳やまにいるなり。聖賢やまにすむとき、やまこれに属するがゆゑに、樹石鬱茂なり、禽獣霊秀なり」(『正法眼蔵』山水経)と言う。山好きにはたまらない章句である。私にとって山での払暁が一番好きな時である。富士山の山頂で迎える御来光には、日本人なら覚えず手を合わせる。
 余談となるが、十七年前に家内と中国安徽省の黄山に登った。黄山は中国人にとって富士山のような存在で、一生に一度は登りたいと言われている山である。「天下の名景黄山に集まる」また「五岳より帰り来たれば、山を見ること無し、黄山より帰り来たれば、五岳を見ること無し」(中国には有名な東岳・泰山、南岳・衡山、中岳・嵩山、西岳・華山、北岳・恒山の五つの山があり、これらを見て来たからと言っても、山を見たことにはならない。黄山を見たならば、他の五山を見る必要はない)と言われる名山である。暁靄からの御来光に二人で黙って手を合わせていると、彼の国の人たちは歓声とともに手を叩いた。彼等と日本人の違いを改めて認識するとともに、わかり合うにはなかなか難しい国と感じた瞬間でもあった。
脱線し過ぎた。道元に戻る。
 道元は「峯のいろ 渓のひびきも 皆ながらわが釈迦牟尼の 声と姿と」(『山松道詠』法華経)と詠む。蘇東坡(蘇軾)の聞渓悟道の偈もあるが、私のような凡夫でも、山に入るだけで清冽な霊気を感じる。だから山登りはやめられない。
 冒頭の雍也篇は「知者は動き、仁者は静かなり。知者は楽しみ、仁者は壽し」と言葉が続く。してみれば四条畷の山に五十四歳から三十五年間籠っておられた伊與田覺学監は、「山を楽しむ」「静かなり」そして何よりも今年九十八歳と「壽し」で、この論語の章句と重なる。

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