2012年10月 「論語と道元禅師」(七) 本会副会長 目黒 泰禪
「自にも不違なり、他にも不違なり」
 昨年の十月、大津市で中学二年の男子生徒が自殺した。先生が「いじめ」を見ぬふりをしたばかりか、学校と市教育委員会がこの「いじめ」を隠蔽していたことが、今年の七月に明るみにでた。聞けばこの中学校は文部科学省の「道徳教育実践研究事業の推進校」、所謂、道徳教育のモデル校であるという。この学校ではどのような道徳教育がなされていたのであろうか。
 会津藩の幼年者には『什の掟』があった。曰く
「一、年長者の言ふことに背いてはなりませぬ。 
 二、年長者には御辞儀をしなければなりませぬ。
 三、虚言をいふ事はなりませぬ。
 四、卑怯な振舞をしてはなりませぬ。
 五、弱い者をいぢめてはなりませぬ。
 六、戸外で物を食べてはなりませぬ。
 七、戸外で婦人と言葉を交へてはなりませぬ。ならぬことはならぬものです。」とある。
これは藩校日新館に入学前の遊び仲間(六才から九才)が話し合って、自治的に定めたものという。大津での関係者は、会津藩の幼年者にも劣る。
 国家間や民族間の争いに宗教が絡み合って、今世紀も戦争が絶えない。宗教間の平和なくして諸国間の平和はないとの信念から、宗教間対話を推し進めるカトリック神学者、ドイツ・チュービンゲン大学ハンス・キュング教授は、人間を律する道徳の必要最小限のコンセンサスとして『地球倫理』を提唱する。その『地球倫理』は、二つの基本的原理「人間は皆、人間として扱われなければならない。自分がしてほしくないことを、相手にするなかれ。」の上に立って、諸宗教の普遍的倫理である「殺すな(生命を尊重せよ)」「盗むな(正直に公正になせ)」「嘘を言うな(真実を話し、行え)」「性的不道徳を犯すな(お互いに尊重し、愛せ)」の四項目を挙げたものである。言うまでもなく、基本的原理の後者は、『論語』にある「己の欲せざる所は人に施すこと勿れ」(顔淵篇・衛霊公篇)という孔子の言葉である。一言にして「恕」であり、まごころからなるおもいやり、相手の立場に思い遣ることである。戦争は当然のことながら、「いじめ」もこの基本的原理から外れる。もっとも学校での道徳教育なら『地球倫理』を持ち出すまでもなく、『什の掟』で事足りる。
 仏教では、菩薩が衆生を済度するに当たって、相手と同じ立場に身を置くことを「同事」と言う。これを道元禅師は「同事といふは不違なり。自にも不違なり、他にも不違なり。…同事をしるとき自他一如なり…同事は薩 の行願なり。たゞまさに、やはらかなる容顔をもて一切にむかふべし」(『正法眼蔵』菩提薩 四摂法)と念を入れて説く。同事が単に無自覚的に相手に合わせるのではないことを、よくよく看取せねばならない。自分の守るべき道にも違背せず、相手の行く道にも違わずに、自他一如の見地に身を置くのは、なかなか容易いことではない。せめて自分の守るべき道に違わず、和らかな容顔をもって相手に接したいものである。

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