2012年7月 「論語と道元禅師」(四) 本会副会長 目黒 泰禪
 「玉は琢磨によりて器となる。人は練磨によりて仁となる」
 梅雨明けが待ち遠しいが、梅雨には紫陽花がよく似合う。六甲山でも家の裏庭でも大いに目を楽しませてもらっている。アジサイは、生育する土質の影響を受けて花の色が変わるが、花そのものは何ら変わるものではない。我が家のは青、土壌が酸性ということか。
 さて孔子の求めた道は天、天命であり、道元禅師の道は仏、仏意であることは五月号で述べた。では道元が孔子の求めた道をどう解釈していたのであろ
うか。
 道元の生涯を描いた『建撕記』に「建仁三年(一二〇三年)四歳ニテ李 (唐の詩人)ガ百詠ヲ読タマウ。建永元年(一二〇六年)七歳ニテ左伝(春秋左氏伝)毛詩(詩経)ヲ読タマウ」とあり、また自らも「我れ本と幼少の時より好のみ学せしことなれば、今もやゝもすれば外典等の美言案ぜられ、文選(周から梁に至る千年間の文章・詩賦)等も見らるゝを」(『正法眼蔵随聞記』第二)とも言っていることからして、『論語』も幼い時から親しんでいたに違いない。
 里仁篇の「子曰わく、参や、吾が道は一以て之を貫く。曽子曰わく、唯。子出ず。門人問うて曰わく、何の謂ぞや。曽子曰わく、夫子の道は忠恕のみ」は当然ながら知っていたであろう。この「一」、つまり道を曽子が「忠恕」(まこととおもいやり)と謂い、また孔子自身が子貢に問われて「恕」と答えられ、今年九十七歳になる伊與田覺学監が「忠恕」(まごころからなるおもいやり)と解釈し「仁恕」と表現された道。道元が孔子の言う道をどう捉えたかが『正法眼蔵随聞記』で解る。
 嘉禎二年(一二三六年)大晦日、初めて懐奘を宇治の興聖寺の第一座に任命した道元が、「玉は琢磨によりて器となる。人は練磨によりて仁となる。いづれの玉か初より光りある。誰人か初心より利なる。必ずすべからくこれ琢磨し練磨すべし。…新首座(第一座・懐奘のこと)、非器なりと(その器でないと)卑下することなかれ」(『正法眼蔵随聞記』第四)と弟子達に説法し、かつ懐奘を励ました。この言葉は「玉不琢不成器、人不学不知道(玉琢かざれば器と成らず。人学ばざれば道を知らず)」(『礼記』学記)から引いているもので、道を明らかに「仁」と捉えて表現している。
 またある日には「政道が天意に合ふ時は、世すみ民やすきなり。…政ごと天意に相合ふ時、是を治世と云ふなり。若し是を怠れば天に背き世乱れ民苦るしむなり。…俗は天意に合はんと思ひ、衲子(出家の修行者)は仏意に合はんと思ふ」(『正法眼蔵随聞記』第二)とも垂示しており、道元が、一般社会における求めるべき道は「天意」とも見ていたことがわかる。
 「わけ登る 麓の道は 異なれど 同じ高嶺の 月をみるかな」(古歌)
 孔子が天命に率い、道元が仏意に随わんとし、廣池千九郎博士が神意に同化せんとしたのも、テロワールの色と、雨に映えるアジサイを暫し眺め入った。

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