2012年6月 「論語と道元禅師」(三) 本会副会長 目黒 泰禪
 「玉は琢磨によりて器となる。人は練磨によりて仁となる」  
 梅雨明けが待ち遠しいが、梅雨には紫陽花がよく 似合う。六甲山でも家の裏庭でも大いに目を楽しま せてもらっている。アジサイは、生育する土質の影 響を受けて花の色が変わるが、花そのものは何ら変 わるものではない。我が家のは青、土壌が酸性とい うことか。  
 さて孔子の求めた道は天、天命であり、道元禅師 の道は仏、仏意であることは五月号で述べた。では 道元が孔子の求めた道をどう解釈していたのであろ うか。  
 道元の生涯を描いた『建撕記』に「建仁三年(一 二〇三年)四歳ニテ李 (唐の詩人)ガ百詠ヲ読タ マウ。建永元年(一二〇六年)七歳ニテ左伝(春秋 左氏伝)毛詩(詩経)ヲ読タマウ」とあり、また自 らも「我れ本と幼少の時より好のみ学せしことなれ ば、今もやゝもすれば外典等の美言案ぜられ、文選 (周から梁に至る千年間の文章・詩賦)等も見らるゝ を」(『正法眼蔵随聞記』第二)とも言っているこ とからして、『論語』も幼い時から親しんでいたに 違いない。
 里仁篇の「子曰わく、参や、吾が道は一以て之を 貫く。曽子曰わく、唯。子出ず。門人問うて曰わく、 何の謂ぞや。曽子曰わく、夫子の道は忠恕のみ」は 当然ながら知っていたであろう。この「一」、つま り道を曽子が「忠恕」(まこととおもいやり)と謂 い、また孔子自身が子貢に問われて「恕」と答えら れ、今年九十七歳になる伊與田覺学監が「忠恕」(ま ごころからなるおもいやり)と解釈し「仁恕」と表 現された道。道元が孔子の言う道をどう捉えたかが 『正法眼蔵随聞記』で解る。  
 嘉禎二年(一二三六年)大晦日、初めて懐奘を宇 治の興聖寺の第一座に任命した道元が、「玉は琢磨 によりて器となる。人は練磨によりて仁となる。い づれの玉か初より光りある。誰人か初心より利なる。 必ずすべからくこれ琢磨し練磨すべし。…新首座(第 一座・懐奘のこと)、非器なりと(その器でないと) 卑下することなかれ」(『正法眼蔵随聞記』第四) と弟子達に説法し、かつ懐奘を励ました。この言葉 は「玉不琢不成器、人不学不知道(玉琢かざれば器 と成らず。人学ばざれば道を知らず)」(『礼記』 学記)から引いているもので、道を明らかに「仁」 と捉えて表現している。  
 またある日には「政道が天意に合ふ時は、世すみ 民やすきなり。…政ごと天意に相合ふ時、是を治世 と云ふなり。若し是を怠れば天に背き世乱れ民苦る しむなり。…俗は天意に合はんと思ひ、衲子(出家 の修行者)は仏意に合はんと思ふ」(『正法眼蔵随 聞記』第二)とも垂示しており、道元が、一般社会 における求めるべき道は「天意」とも見ていたこと がわかる。  
 「わけ登る 麓の道は 異なれど 同じ高嶺の  月をみるかな」(古歌)  孔子が天命に率い、道元が仏意に随わんとし、廣 池千九郎博士が神意に同化せんとしたのも、テロワ ールの色と、雨に映えるアジサイを暫し眺め入った。

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