今月の論語 (2024年6月) |
|
鳥獣不同(ちょうじゅうふどう)
鳥獸は與(とも)に群(ぐん)を同じくすべからず。
吾(われ)斯(こ)の人(ひと)の徒(と)と
與にするに非(あら)ずして誰(たれ)と與にかせん。
鳥獸不可與同群。吾非斯人之徒與、而誰與。
(微子第十八、仮名論語二八五頁)
|
|
〔注釈〕(先師は落胆して言われた)「鳥獣とは與に生活することはできない。私はこの人間と與に生活しないで、一体誰と共にできようか」
〔和歌〕子はのらす 鳥も獸(けもの)も 羣すれど われら羣せむ 人にまぢりて
(見尾勝馬)
会長 目黒泰禪
諸国を歴訪していた孔子が渡し場を見つけられずにいた。たまたまその近くで並んで耕していた隠者らしき二人に、伴っていた子路を行かせて渡し場の所在を尋ねさせた。その一人長沮(ちょうそ)は「魯の孔丘なら、諸国を巡っているのだから渡し場ぐらいは知っているだろうに」とにべもない。もう一人の桀溺(けつでき)は「大河が滔々と流れて止まるところがないように世の中も皆そうだ。そうであるのに誰と一緒に世の中を変えようと言うのだ。そのような人物がいる筈がない。それより汝は、あの人はいけないこの君主はだめだと、人を選んで避けるような師(孔子)に従うよりは、世を避ける我々に従ったほうが良いのではないか」と種まきの手を止めず教えもしない。子路がその一部始終を報告すると、孔子は落胆して言われた。「鳥獣とは與に生活することはできない。私は人間と與に生活しないで、一体誰と共にできようか。もし天下に道が行われてよく治まっておれば、私は何も世の中を改めようとはしないのだ」(微子篇)。
孔子の生きた時代は、しだいに国が乱れ衰え、民が疲れ苦しんだ時代であった。孔子は真から民の安寧を願っていた。天下泰平を願う君主や済世救民を願う同志と、與に共にこの世の中を変えたいと諸国を遊歴していた。変える努力もせずに、あきらめて鳥獣と與に暮らすことはできないと言われたのである。
英国の哲学者メアリー・ミッジリー(一九一九年―二〇一八年)の論文に、「〈野蛮〉〈残忍〉〈獣じみた〉〈動物的欲求〉等の言葉の背後にある残酷な無法者のイメージを持たされた動物は、本当は人間であって、動物は本質的に残酷な生き物ではない」(『獣性という概念』より)とある。毎日のように報道されるウクライナやガザ地区の瓦礫を視るたび、人間が如何に残酷な生き物であるか認識させられる。その人間の残酷さを変えることができるのは、また人間だけである。孔子が言われるように、我々人間自身で変える努力、変わる努力をするしかない。あきらめては、人間の目線から残酷の烙印を押された動物鳥獣にすまない。
君が代の 安けかりせば かねてより 身は花守と なりけむものを
(平野國臣)
|
|