今月の論語 (2024年4月)
有教無類(ゆうきょうむるい)

子(し)曰(のたま)わく、
敎(おしえ)有(あ)りて類(るい)無(な)し。

子曰、有敎無類。
(衛霊公第十五、仮名論語二四三頁)


〔注釈〕先師が言われた。「人は教育によって成長するもので、貴賤老若男女の別はない」

〔和歌〕子はのらす 人の品こそ 異なれど 敎(をし)へによりて 一にわれせむ  見尾勝馬

会長 目黒泰禪

 四月から新学期が始まる。この歳になって思いおこせば、小学校への入学は一番嬉しさと期待感があったように思う。

 孔子が隣りの衛の国に行かれたとき、弟子の冉(ぜん)有(ゆう)が御者としてお供をした。先師が車上から衛の様子を眺めて「人口が多いね」と感心されたのを聞いて、冉有は「民が多ければ、先生ならこの上に何をなさいますか」と尋ねた。先師は「民を裕福にしたい」と答えられた。冉有がさらに「民が裕福になれば、その次に何をなさいますか」と尋ねると、先師は「民を教育したい」(子路篇)と答えられた。孔子は、国力が人口と経済そして教育の三つにあることを示された。またある時、「人は教育によって成長するもので、貴賤老若男女の別はない(敎(おしえ)有(あ)りて類(るい)無(な)し)」(衛霊公篇)と言われた。教育によって善人にも悪人にもなる。教えが善なれば賢者となり君子となる。不善なれば愚者にも小人にもなる。政治を目指す弟子たちへ、国にとって教育が如何に大切かを説かれた。

 翻って、現在の日本の教育はどうなのであろう。文部科学省は昨年十月、小中学校における不登校の児童生徒数が令和四年度に29万9048人となり、過去最多と公表した。高等学校における不登校生徒も6万575人に達した。クラスに一人ないし二人の不登校児童生徒がいる数値である。今や子供にとって学校は、息苦しいところなのだろうか。東京大学などの調査では、引きこもりや身体不調は思春期児童に希死念慮(死にたいと思う気持ち)を抱かせるリスクがあるという。一斉一律の学習や同調を強いるクラスでは個性や多様性を育むことは難しい。加えて日本社会は協調性を重視する体質がある。教師自身がその教育を受けた世代でありながら、多様性を生かす教育をするのはなかなか容易ではない。

 一方、教師のなり手が少なく教員不足が深刻となっている。昨年度に採用された公立校教員の選考試験の倍率が3・4倍で過去最低になった。六年連続の低下で、特に公立小学校の競争倍率は2・3倍であった。不人気の原因は、長時間労働、保護者からの過度な要望や苦情への対応等で、「ブラック職場」のイメージが強いことにあるという。また、うつ病などの精神疾患で昨年度休職した公立学校の教員は6539人と過去最多となった。教師にとってもまた学校が、息苦しいところなのだろうか。

 米国の作家で、牧師でも教師でもあるウイリアム・アーサー・ウォード(一九二五年―一九九四年)は「凡庸な教師はただしゃべる。良い教師は説明する。優れた教師は自らやってみせる。そして偉大な教師は生徒の心に火をつける」と言う。分母となる教員が増えなければ、愛(を)し経(へ)る師、心に火をつける教師も増えない。先ずは教員の働き改革が急がれるが、保護者もテスト点数の高さに安心を求めることを改めなければならない。何より嬉しく胸ふくらませて入学した子供のために。

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