今月の論語 (2024年3月) |
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将死言善(しょうしげんぜん)
曾子(そうし)言いて曰(い)わく、
鳥(とり)の將(まさ)に死なんとするとき、
其(そ)の鳴(な)くや哀(かな)し。
人の將に死なんとするとき、
其の言うや善(よ)し。
曾子言曰、鳥之將死、其鳴也哀。
人之將死、其言也善。
(泰伯第八、仮名論語一〇〇頁)
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〔注釈〕曾子が言われた。「鳥が死ぬ前には、哀しげな声で鳴く。人が死ぬ前には、その言葉は善いと申します」
会長 目黒泰禪
『論語』泰伯篇に、曾子が危篤に陥ったとき、魯の大夫の孟敬子がこれを見舞う場面がある。その時、曾子は孟敬子に「鳥は死のうとするとき、哀しげな声で鳴きます。人は死のうとするとき、その言葉は善いと申します」と、為政者として大切にすべきことを諄々と説く。死に臨んでいう言葉には、偽りはない。まこと(信、誠)から発せられる言葉である。曾子は言外に、どうか私の最後の言葉を心にとどめてくださいと誡めた。
日本最初の勅撰和歌集である『古今和歌集』の仮名序は、「やまと歌は、人の心を種(たね)として、万(よろづ)の言(こと)の葉(は)とぞ成れりける。世の中に在(あ)る人、事(こと)、業(わざ)、繁(しげ)きものなれば、心に思ふ事を、見るもの、聞くものに付けて、言ひ出(い)だせるなり。花に鳴く鶯(うぐひす)、水に住む蛙(かはづ)の声を聞けば、生きとし生けるもの、いづれか、歌を詠(よ)まざりける。力をも入れずして、天地(あめつち)を動かし、目に見えぬ鬼(おに)神(かみ)をもあはれと思はせ、男(をとこ)女(をむな)の仲(なか)をも和(やわ)らげ、猛(たけ)き武人(もののふ)の心をも慰(なぐさ)むるは、歌なり(*読みやすいことを主として、一部を漢字表記)」の文で始まる。
昔も今も、志ある日本人の多くが辞世の歌を残す。将に死なんとするとき、其の言うや善(よ)し。
身はたとひ 武蔵の野辺に 朽ちぬとも 留(とど)め置かまし 大和魂 吉田松陰
小(さ)夜(よ)嵐(あらし) みねの落葉は 埋もれて わが行く道は 知る人ぞ知る 大川周明
散るをいとふ 世にも人にも さきがけて 散るこそ花と 吹く小夜(さよ)嵐(あらし) 三島由紀夫
当会事務所に架けられている影山正治の一首は、木鐸を振りふり斯の道を逝くと詠まれた村下好伴先生が、殊さら大切にされていた。
民族の 本(もと)ついのちの ふるさとへ はやはやかへれ 戦後日本よ 影山正治
いきとらむ 鳥の啼き聲 かなしくも いまいきたゆる 人の言(げん)よし
(見尾勝馬『和歌論語』)
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