今月の論語 (2023年10月)
遷怒弐過(せんどじか)

顔回(がんかい)なる者(もの)有(あ)り、
學(がく)を好(この)めり。
怒(いかり)を遷(うつ)さず、
過(あやまち)を貳(ふた)たびせず。

有顔回者、好學。不遷怒、不貳過。
(雍也第六、仮名論語六六頁)


〔注釈〕(先師が答えられた)「顔回という者がおり、学を好みました。彼は怒りを自分に関係ない者にまでうつさず、過ちを二度と繰り返しませんでした」

会長 目黒泰禪

 七十八年前から、日本人にとって八月は特別な月となった。一九四五年八月六日広島に原爆が投下、九日には長崎にも投下された。そして十五日に終戦の御詔勅。祖先の冥福を祈る盂(う)蘭(ら)盆(ぼん)会(え)(お盆)の時分と重なる。戦争を体験していない世代の我々は、原爆死没者慰霊式、平和祈念式典、戦没者追悼式を、関連する特別報道や特集番組から戦争の記憶を受け継ぎ、加害者としても被害者としても、戦争という過ちを繰り返さないと誓う。日本人が八月に抱く特別な念いは、市村真一教授が耳にされた次の言葉に凝縮されている。

 戦後二十年目ほどのこと、随分と多数の参列と感じた頃、平泉澄先生がこんな感想をもらされたことがあった。「この度の戦争で亡くなつた方の総数は二百数十万人と聞いてゐますが、親兄弟、子孫親族だけでも、各人十名としても二千万人を超しますか。親しく懐かしい友達が十名としても、併せて五千万人ですか。日本の全国民、殆ど皆遺族といふことですね。これは大変、日本人は、皆回り回つて遺族ですか。心せねばなりませんね」(『日本』令和四年四月号、市村真一巻頭言より)

 孔子が人間の本質や宇宙の原理について語ることは極めて稀であると、弟子の子貢は言う(公冶長篇)。確かに『論語』には少ない。その章句の一つに、魯国の君主哀公から好学の弟子を尋ねられた孔子は、顔回の名をあげて、人の性(さが)について語られた。「顔回という者がおり、学を好みました。彼は怒りを人にうつしませんし、過ちを二度と繰り返しませんでした」(雍也篇)。若くして亡くなった後、本当に学を好む弟子はおりませんとまで言われた。単に知識だけでなく、「怒(いかり)を遷(うつ)さず、過(あやまち)を弐(ふた)たびせず」の実践が、人間にとって如何に難しいかを語るものである。人間の性(さが)が「怒を遷し、過を弐たびす」を示すかのように、近現代史において幾度も戦争が記され、今もなお続いている。

 今年の五月に主要七カ国首脳会議(G7)が広島で開催された。G7首脳と拡大会合に招いたインド・ブラジル・韓国など八カ国首脳、戦時下にあるウクライナのゼレンスキー大統領も、原爆慰霊碑に献花し、原爆資料館を訪問した。しかし被爆の実相を目に焼き付けても、首脳声明は核兵器廃絶とはならず、抑止力としての核兵器を肯定している。「怒を遷し、過を弐たびす」であれば、我々の次の世代、未来を担う世代に申し訳が立たない。現に、ウクライナへの侵攻を続けるロシアは公然と核の威嚇をする。北朝鮮は核・ミサイルの開発へ直走(ひたはし)る。広島と長崎の惨禍をつぶさに熟知しているGHQのあのマッカーサーでさえ、朝鮮戦争の国連軍総司令官に任命されると、勝利のために少なくとも三十四発の原爆が必要であるとトルーマン大統領に要求した。過ちをふたたびしてはならない。過ちを繰り返さないと誓わなければ、世界中が遺族になってしまう。

  わが回や 怒遷(うつ)さず 過(あやまち)を 貳(ふたゝび)せざる 好學の人
   (見尾勝馬『和歌論語』)

Copyright:(C) Rongo-Fukyukai. All Rights Reserved.