今月の論語 (2023年8月) |
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疾病請禱(しっぺいせいとう)
子(し)の疾病やまい(おもき)なり。
子路(しろ)、禱(いの)らんことを請(こ)う。
子疾病。子路請禱。
(述而第七、仮名論語九五・九六頁)
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〔注釈〕先師の病気が重かったとき、子路が全快を神にお祈りしたいと願いでた。
会長 目黒泰禪
『論語』述而篇の三十四章句目にある原文「子路請禱」を、多くの注釈書は「子路、禱(いの)らんことを請(こ)う」と日本語書き下し文にしている。しかし『大漢和辞典』編纂の諸橋轍次博士は、ここを「子路請禱(せいとう)す」と読み、請い禱る意とした。重態の病人に向かって、禱ることの許しを願い出るというのもやや理に叶わないと解したのである。確かに、いくら儀礼に厳格な師であったとしても、祈る行為の許可を本人に願い出たとするには無理がある。「子路請禱す」と書き下すと、この章句の味わいも変わってくる。
孔子の病気が重かった時、これを心配した門人の子路が願がけをして神に祈った。後からその事を聞き知った孔子が、願がけをするなどということが昔の道にあるのか、と詰問(きつもん)した。これに対して子路は、ございます。誄(るい)(故人の行事を述べてその人の冥福を祈る文)の中に、なんじを上(しょう)下(か)(天地)の神(しん)祇(ぎ)に禱る、とございます、と答えた。そこで孔子は、自分は平素の行いにやましいところはないのであるから、その意味の祈りなら、自分もすでに久しく祈っておったことになる。何も病気が重かったからといって、あわてて神の助けを求める必要はない、と言って、子路の心根はこれをよろこびながらも、その軽率の行いを戒めたのである。(諸橋轍次著『論語の講義』より)
私は博士のこの解釈を好んでいる。今年五月二十七、二十八日と第六十三回「世直し祈願萬燈行大会」で伊勢神宮にお参りをした。発願された安岡正篤先生は昭和三十五年の第一回大会で、『われらの祈り』として「その真心から、我ならぬ他人の為に善かれと願ふは人の世の美しい情であります」「やむにやまれぬ切なる願ひ、それが清く美しい愛の心に迫られて発する場合、人は即ち祈るのであります」「我々の祖宗、その国、その民の、ひたすら事無かれかし、幸あれと祈ることほど純情で貴いものはありません」と述べられた。子路の祈りも、当にやむにやまれぬ切なる願いである。子路の誠からほとばしる祈りであった。あれは令和二年の第六十回大会のこと。新型コロナウイルスの感染拡大で緊急事態宣言が発令、移動自粛により中止を余儀なくされた。安岡先生が亡くなられた後の団長は、伊與田覺先生に継承され、村下好伴先生、そして私となった。世界が疫病で苦しんでいる今こそ、団長独りだけでも祈らねばと伊勢市駅に向かった。近鉄特急の車両には三人のみ、そのうち駅に降り立ったのは二人。商店街は人の気配がなく、神宮へ向かうのは私一人。表参道火除(ひよけ)橋(ばし)の手前にさしかかるや、日章旗を掲げた人の群れに驚いた。全国からのやむにやまれぬ参拝の有志十一名であった。後に仄聞(そくぶん)したところによると、この期間中ひとかたまりの参拝は我々のみであったとか。
禱(いの)らずも 神やまもらむ 眞心を もてるこの身や 神もまもらむ
(見尾勝馬『和歌論語』)
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