今月の論語 (2023年5月)
飽食無心(ほうしょくむしん)

子(し)曰(のたま)わく、
飽(あ)くまでも食(くら)いて日(ひ)を終(お)え、
心を用(もち)うる所無きは、難(かた)いかな。
博奕(はくえき)なる者有(あ)らずや。
之(これ)を爲(な)すは、
猶(なお)已(や)むに賢(まさ)れり。

子曰、飽食終日、無所用心、難矣哉。
不有博奕者乎。爲之猶賢乎已。
(陽貨第十七、仮名論語二七六頁)


〔注釈〕先師が言われた。「腹いっぱい食べて一日中ぼんやりしているようでは困ったことだ。双六や囲碁などの賭け事があるではないか。まあそれでもする方が、何もしないよりましだ」

会長 目黒泰禪

 我々の世代は、学生時代も社会人になってからも、娯楽の中心は麻雀であった。下宿や寮でもできたし、駅前や街には必ず雀荘があった。麻雀は四人での遊戯なので、酒やゴルフよりも付き合いの重きをなしていた。何よりも接待的要素が少なく、卓を囲むと上司でも顧客でも遠慮は要らず没頭できた。それだけに誘いを優先してきた。振り返ってみると、麻雀に費やした時間を家庭に充てていたならば、どれほどか実のあるものになっていたであろう。

 孔子は「飽(あ)くまでも食(くら)いて日(ひ)を終(お)え、、心(こころ)を用(もち)うる所(ところ)無(な)きは、難(かた)いかな。博奕(はくえき)なる者(もの)有(あ)らずや。之(これ)を爲(な)すは猶(なお)已(や)むに賢(まさ)れり」(陽貨篇)と言われる。確かに飽食無心、飽食暖衣よりもましには違いない。この章句を素読する度、納得と後悔とがいつも綯(な)い交(ま)ぜになる。何もしないよりましとは言え、博奕なるものに費やした時間をせめて半分にしていたならとの悔いが残る。

 さて、折に触れ思い出すのはドイツでの麻雀。初めてのデュッセルドルフ訪問で、仕事後には地元のアルトビールを楽しみにしていた。初対面の現地事務所のⅮ所長に挨拶をすると、いきなり「よし、これで四人が揃った」と言われ仰天した。まさかドイツに来てまでとは。どうやら前日入国したロンドン事務所のL副所長が、麻雀に強いと伝えていたらしい。もう一人は、イランの製鉄所建設PMのT氏で、半年ぶりの帰国のため、テヘランを発ってデュッセルへ今日到着したという。お三方とも私より五、六歳年長で断る選択肢はない。雀荘の客は我々だけで、出前のラーメンを食べながら夜十時に終わり、一曲歌って帰ろうとなった。いやはや、これでは全くもって日本と変わらない。隣の店に移ると「ここは御国を何百里…」のメロディ、一人きりの先客が切々と『戦友』を歌っていた。ドイツは痛みを共にした元同盟国であったればこそと聞き入っていたが、十四番まである長い歌。段々と「…死んだら骨を頼むぞと 言ひ交はしたる二人仲」「思ひも寄らぬ我一人 不思議に命永らへて…」と哀切極まりなく、我々の会話は弾まなくなった。聞けば、商社マンで、定年を迎えたが余人をもって代えがたいと言われ、家族を帰国させ独り残っていた。初老の企業戦士は続いて、佐田啓二と高峰秀子主演の『喜びも悲しみも幾歳月』の主題歌、辺地の灯台を転々としながら厳しい駐在生活を送る灯台守を歌った。「俺(おい)ら岬の灯台守は 妻と二人で…」「…遠い故里 思い出す 思い出す」。皆、寡黙になり、残りのグラスを静かに空けて御開きとなった。

 「少(わか)くして学べば」とは行かなかったが、現在は妻と二人で「老いて学べば死して朽ちず」を肚(はら)にすえ励む歳月である。

いたづらに 食(し)に飽きひねもす 學ばざる 人にすゝめむ 博奕(ばくえき)の道(見尾勝馬『和歌論語』)

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