今月の論語 (2023年4月)
従心所欲(じゅうしんしょよく)

七十(しちじゅう)にして
心の欲する所に従えども、
矩(のり)を踰(こ)えず

七十而從心所欲、不踰矩。
(為政第二、仮名論語一二・一三頁)


〔注釈〕先師が言われた。「七十を過ぎる頃から自分の思いのままに行動しても、決して道理をふみはずすことがなくなった」

会長 目黒泰禪

 芥川賞作品を楽しむ人もいれば、直木賞ものを好む人もいる。カズオ・イシグロに惹かれる人、村上春樹を愛するハルキスト、小川洋子ワールドに魅せられる人、多和田葉子のディストピアにはまる人。取り上げる主題や文体によって、好みの作家と苦手に感じる作家とそれぞれである。

 大庭みな子という一九三〇年生まれの芥川賞作家がいた。どちらかというと私には、文章の運びや表現から苦手の部類であった。しかし、一九九四年刊行の『むかし女がいた』に「ミツクリエナガチョウチンアンコウ」とあり、その長い和名をもつ深海魚の名だけが妙に印象に残った。「メスはかなり大きくなるのだが、オスは数センチほどで、メスの生殖孔付近に食いついて生活するようになる。そのうちオスの口や血管もメスにつながり、文字どおり夫婦一体となってしまう」との、鳥羽の水族館長の話を引用して、夫の利雄氏をそのオスに擬(なぞら)えていた。妻が執筆に専念できるように、利雄氏はエンジニアを辞めて秘書をしていたのだ。

 二〇〇二年の暮れ、或る書店の新刊コーナーで大庭みな子の名が目に留まった。その『浦安うた日記』を開くと、「皮肉なことにはそれから十余年が経って病に倒れたナコは雌雄が逆転したミツクリエナガチョウチンアンコウになってしまった心境」と綴ってあった。

 トシよトシ 君あればこそ 吾のあり
   車椅子さえ うるわしきなれ
 プラトニックと 人いわばいえ 七十路の
   中空を行く 同行二人
 終わりなき 介護に疲れる 夫あれば
   旅立ちを 祈るばかりよ
 日に三たび 食事湯浴みに 手洗いと
   夫に乞う身の いのちうとまし
 ゆるゆると 恋にまみれて 夫と生き
   ついの棲家の 浦安に住む (『浦安うた日記』より)

 みな子がお遍路の夢かうつつか「あなたに縋(すが)れなくなったときにはこの断崖から飛び降りる」と言う。利雄氏は「自分はナコの逝く少なくとも一秒後までは生きているつもりでいるから心配するな」と言う。自宅介護はみな子の亡くなるまで十一年続いた。道友のT氏は伴侶を十年自宅介護された。同窓のS氏もまた伴侶を十年近く自宅介護している。高じる疲労に救急車で三回運ばれた。

 孔子は「七十にして心の欲する所に從えども、矩を踰えず」と言われた。晩年が独りであった孔子と違い、偕(とも)に老いる伴侶のいる身には「心の欲する所に従う(従心所欲)」のみならず、「妻の欲する所に順う(順妻所欲)」もあろうか。七十台の我々には、箕作柄長提灯鮟鱇(ミツクリエナガチョウチンアンコウ)の話しは偕老(かいろう)への示唆に富む。

 子はのらす 七十路越ゆれば 思ふまゝ
   なすも矩をば 越えざるわれと(見尾勝馬『和歌論語』)

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