今月の論語 (2023年3月)
楽水楽山(らくすいらくさん)

子(し)曰(のたま)わく、
知者(ちしゃ)は水を樂しみ、
仁者(じんしゃ)は山を樂しむ。
知者は動き、仁者は靜かなり。
知者は樂しみ、仁者は壽(いのちなが)し。

子曰、知者樂水、仁者樂山。
知者動、仁者靜。知者樂、仁者壽。
(雍也第六、仮名論語七六頁)


〔注釈〕先師が言われた。「知者は水を好み、仁者は山を好む。知者は活動的であり、仁者は静寂である。知者は変化を楽しみ、仁者は永遠の中に安住する」

会長 目黒泰禪

 登山や山歩きを好きな人にとってこたえられない章句が『論語』にある。雍也篇の「知者は水を樂しみ、仁者は山を樂しむ。知者は動き、仁者は靜かなり。知者は樂しみ、仁者は壽(いのちなが)し」である。三十代の時、山岳部主催の六甲全山縦走大会(塩屋から宝塚まで、五六㎞)に誘われたのを契機に、山の魅力にはまってしまった。新田次郎の『孤高の人』を読んで、六甲縦走の往復もした。四十代後半から『論語』を本格的に学ぶようになり、「仁者」はさておき、「山を楽しむ。静かなり」とあり、ますます山が好きになった。ただ「寿(いのちなが)し」とまでは結びつかなかった。

 ところが、伊與田覺学監との回合(かいごう)から後年のことになるが、初めて「仁者は寿し」を実感できた。学監は昭和三十五年、関西師友協会の教学修練の場として、国際社会から信頼と敬愛の念で迎えられる人物を育成する道場建設を発願。「得も言えぬ幽邃(ゆうすい)な林相(りんそう)に魅せられて」四條畷の飯森山東峰を成人教学研修所の地と定めた。九年後の昭和四十四年に完成。自らが郷党の少年学徒と共同生活を始めた有源舎の設立から、実に三十年が経過していた。その年の元旦の吟詠。

 己酉(つちのととり)の歳旦に
 有源の 泉もとめて 三十年(みととせ)の いのりきかるゝ 春ぞ来にける

 一月二十六日、ついに念願の成人教学研修所の落成式を迎えた。師である安岡正篤先生が口占(こうせん)を詠まれ、「君は私の失敗を繰り返すな。君は山中にあって自らを深めて行くと共に、登り来る者に応じて教育せよ」と言われた。爾来三十四年間、研修所の閉鎖に到るまで、学監はこの言葉を守られた。

 哲人自古愛雲山 哲人古(いにしえ)より雲山を愛す
 今学亦須超俗寰 今学亦須(すべから)く俗寰(ぞくかん)を超ゆべし
 挙世滔々何處逝 挙世滔々(とうとう)何れの處にか逝(ゆ)く
 猶興同志箇中閑 猶興の同志箇(こ)中(ちゅう)閑(かん)なり

 「郵便も新聞も届かず電話もない山奥の施設でした。ここで私は一ヶ月間、だれ一人訪ねて来る人のない孤独を味わいました。岩陰に咲く小さな花に親しみを覚え、一日に何度も語りかける毎日」と、学監はPHP社のインタビューに答えておられる。登り来る猶興の同志も、研修が終れば皆下山する。山中の閑寂を、受講生の広本岩吉氏は「山中人跡絶えて 寒月羅帷(らい)を照らす」と詠じている。

 まさに学監は、雲山を愛し、世俗の間(あわい)から超然とされていた。百一歳の末期まで誨えて倦まれなかった。七十五歳の小生、「寿し」でありたいが、せめて「静かなり」と、俗寰の蠱(こ)惑(わく)に陥らずに命を全うしたい。

 流れみて 樂しぶ知者に くらぶれば 山みて樂しぶ 仁者壽(としひさ)し
 (見尾勝馬『和歌論語』)

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