今月の論語 (2022年12月)
三省吾身(さんせいごしん)

曽子(そうし)曰(い)わく、
吾(われ)日(ひ)に吾(わ)が身(み)を
三省(さんせい)す。
人(ひと)の爲(ため)に謀(はか)りて
忠(ちゅう)ならざるか、
朋友(ほうゆう)と交(まじわ)りて
信(しん)ならざるか、
習(なら)わざるを傳(つた)うるか。

曾子曰、吾日三省吾身。
爲人謀而不忠乎。與朋友交而不信乎。
傳不習乎。
(学而第一、仮名論語二・三頁)


〔注釈〕曾子が言われた。「私は毎日、自分の行いを幾度となく反省している。人の為を思ってまごころからしていたかどうか、友だちと交わってまことであったかどうか、自分でもまだ習得していないことを教えはしなかったか、と」

会長 目黒泰禪

 孔子の弟子曾子は、日々「人の為に謀りて忠ならざるか、朋友と交りて信ならざるか、習わざるを伝うるか」(学而篇)と、忠(まごころ)と信(まこと)であったかとたびたび自己を反省した。孔子から百数十年後に生まれた孟子もまた、「人を愛して親しまれざれば、そのみずからの仁に反(かえ)りみよ。人を治めて治まらざれば、そのみずからの智に反りみよ。人を礼して答えられざれば、そのみずからの敬に反りみよ」(『孟子』離婁章句上)と、おのれの仁愛や智慧、敬意が足りないからではないかと反省せよと言う。確かにこの歳になっても反省すべきことが多い。曾子や孟子のように若い時から反省三省していたなら、私とてもう少し有為な人間になれていたかもしれない。

 村下好伴先生が亡くなられて一年になろうとしている。先生は『孟子』がとてもお好きであった。論語の御講義においても、孟子の章句をよく引用されていた。「自(み)ずから反(かえ)りみて縮(なお)くんば、千万人と雖(いえど)もわれ往(ゆ)かん」(『孟子』公孫丑章句上)、「誠(まこと)は天の道にして、誠を思うは人の道なり。至(し)誠(せい)にして動かされざる者は、未(いま)だこれ有らざるなり」(離婁章句上)。「身に反(かえ)りみて誠(まこと)あらば、楽しきことこれより大(だい)なるはなし」(尽心章句上)等々。先生が孟子を好まれたのは、孔子の言われた「信(まこと)・忠信」を孟子が「誠(まこと)・至誠」へと昇華させたところにあったのではと、奈辺にあるかは推測の域を出ないが、私は確信している。

 平成二十五年(二〇一三年)四月、従来からの村下会長「中津論語を楽しむ会」と岡野理事「博学篤志塾」に加え、新たに文化講座として五講座が開講した。村下先生「孟子」、室屋副会長「小学」、山本編集長「易経入門」、今村葵草(きそう)先生「書道」、私の「昼の論語」。その年の『論語の友』二月号から予告折込を同封した。折込を目にされた伊與田覺学監が直截に「私は、孟子が嫌いだ。日本の国体にそぐわない」。すると村下先生はそこをよしなにという風で、わずかに頭を傾け軽く指先を額にあてられた。お二人とも「千万人と雖もわれ往かん」のタイプ。すわとの緊張は私のみ、座はすぐになごんだ。「孟子」講座は令和元年七月迄続いたが、主治医のドクターストップにより残念ながら事実上の閉講となった。昨年春のこと、「孟子」の講座を田路理事に継承を考えておりますがとの御相談に、「孟子はええなあ」と、「孟子」の再開を歓迎された。

 十二月四日は村下好伴先生の一周忌。「壺中忌」として墓前で香華を手向けて、この一年間の自省三省も含め普及活動のご報告を申し上げたい。「中津論語を楽しむ会」を承継している岡野理事による『仮名論語』の先唱で。

日に三たび 省(かへりみ)るかな 忠と信 師の御敎へを ならはざるかと
 (見尾勝馬『和歌論語』)

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