今月の論語 (2022年9月)
思而不学(しじふがく)

子(し)曰(のたま)わく、
學(まな)びて思(おも)わざれば
則(すなわ)ち罔(くら)く、
思うて學ばざれば
則ち殆(あやう)し。

子曰、學而不思則罔、思而不學則殆。
(為政第二、仮名論語一七頁)


〔注釈〕先師が言われた。「学ぶだけで深く考えなければ、本当の意味はわからない。考えるのみで学ばなければ、独断におちいって危ない」

会長 目黒泰禪

 この八月は、コロナウイルスのオミクロン株派生型による第七波と、気候変動による熱波や記録的大雨で不安がいや増す夏となった。この異常な激暑は、日本だけでなく、欧州やアフリカでも記録的な干ばつをもたらしている。一九九七年に採択された京都議定書や、二〇一五年に合意されたパリ協定「二一〇〇年までに世界の平均気温上昇を産業革命以前に比べて2℃より十分低く、できれば1.5℃に抑える努力をする」のような生ぬるい目標では、地球温暖化をもう止められない時点、以前の状態に戻れなくなる地点にまで入ってしまうのではと危惧している。地球温暖化対策を荏苒(じんぜん)としていては手遅れになってしまう。その危機感は、我々の世代よりも十代二十代の若者に強い。当然であろう。二一〇〇年は彼ら彼女らの人生最晩年の辺りであり、心安らかにと願うのは人の常である。ウクライナへの侵略戦争や台湾を海上封鎖するかたちの軍事演習だけではない。ミサイル開発や核兵器近代化等々に莫大な費用と時間をかけて、人類破滅の道を驀進(ばくしん)する指導者に疑問を持つのは当然である。軍事的危機が、気候変動対策と核兵器廃絶への歩みを遅らせる。その付けが、今の十代二十代に回る。

 孔子が若い弟子たちに学問と思索が共に大切であることを諭した章句がある。「學(まな)びて思(おも)わざれば則(すなわ)ち罔(くら)く、思(おも)うて學(まな)ばざれば則(すなわ)ち殆(あやう)し」(為政篇)と言われた。現代風に言えば、「君たちは、学校でもオンラインでも受講できる。望めば世界中の講義を受講できる。書籍だけでなくインターネットであらゆることを学べるのは実に良いことである。しかし学んだことを深く掘り下げて、我が身や社会にあてはめてどのように行動していくかまで考えなければ、その知識も曖昧なままで確かなものにはならない。また一方、独り黙々と考え、思いつめることは真に良いことである。しかし思いつめるだけでは独断や偏見におちいる危険性がある。やはり多くの書籍やインターネットを通じて世界の研究論文に学び、何よりも、身近に友達や先生から疑問を正してもらうことができるではないか。学ぶにこしたことはない」と。

 いつも利用する神戸市立図書館の蔵書は約二〇〇万冊である。およそ日本の各都市の図書館蔵書数は一〇〇万冊から二〇〇万冊という。因みに国立国会図書館が約一〇〇〇万冊で、これに毎年、国内で出版される新刊本が約七万冊加わる。若い世代には、インターネットの論文だけでなく、自らの手で一冊一冊繙(ひもと)いてもらいたい。インターネットで検索することは容易であるし、時にはSNS(交流サイト)で知ることもあるかと思う。そこでは、見たい情報が優先的に表示される「フィルターバブル」や、自分と同じ意見が返ってきやすい「エコーチェンバー」といった特性によって、異なる立場の議論を深めるよりも、単純な好き嫌いといった二元論につながるとも指摘されている。そうであれば真の「学び」にならない。「思うて学ばざれば則ち殆し」を心してほしい。

 學(まな)ぶとも 思はざりせば 道くらし
 學(まな)ばずおもふ 道またあやふし  (見尾勝馬『和歌論語』)

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