今月の論語 (2022年7月)
里仁為美(りじんいび)

子(し)曰(のたま)わく、
仁(じん)に里(お)るを美(び)と爲(な)す。
擇(えら)びて仁(じん)に處(お)らずんば、
焉(いずく)んぞ知(ち)なるを得(え)ん。

子曰、里仁爲美。擇不處仁、焉得知。
(里仁第四、仮名論語三七頁)

〔注釈〕先師が言われた。「仁に行いのよりどころを持つのが美わしい。自らすすんで仁によらなければ、どうして知者と言えようか」

会長 目黒泰禪

 四年前の四月、娘に誘われて社会人向けのナレッジキャピタル大学校の講義を受講した。JT生命誌研究館館長中村桂子博士の講義である。「人間は生きものであり、自然の一部である」「三十八億年前の海のDNAを持った祖先細胞から、あらゆる生命が誕生した」「人間だけが特別な存在ではない」という。約七〇〇万年前にチンパンジー属との共通祖先から枝分かれして現在のヒト属に至るのであるが、約二〇万年前に誕生した我々ヒト属ホモ・サピエンスとチンパンジーには、大きな隔たりがある。我々の特徴は、直立二足歩行、自由な手、大きな脳、小さな犬歯、U字型の舌骨、多産、共同の子育て等である。だが何といってもチンパンジーとの違いは、仲間を傷つけることのない犬歯と、言葉を発せる構造の舌骨にある。霊長類の中でもさほど体力的に優れている訳ではなく、むしろ弱い生きものであるホモ・サピエンスは、仲間と群れることで身を守っていた。さらに言葉を持ったことで、想像する力、分かち合う力、世代を超えた助け合いができるようになったという。ノートを取りながら、性善説とか性悪説とかに関係なく、人間は身体構造が元来「おもいやり(仁)」の生きものであったのかと、幾度もうなずく講義であった。

 にも拘わらず、ロシアによるウクライナへの侵略のように、何故に何度も何度も戦争を繰り返すのか。何故に人間ホモ・サピエンスは仲間を襲い、奪い、殺すのであろうか。霊長類研究所教授松沢哲郎博士によると、チンパンジーも隣り合う群れとの抗争で相手を殺すことが多いという。女性や食物をめぐり、男性が殺し殺される。同胞を殺すのはチンパンジーのもって生まれた本性とのこと。だが、チンパンジーは殺しを命じることはない。自ら殺す。誰かを殺すように命じるのはホモ・サピエンスだけである。虐殺の背後には大抵、命じて自らは手を染めない人間がいる、と指摘する。一九三〇年代、ウクライナから大量の小麦が収奪されて数百万人もの餓死者が出たホロドモール(飢餓虐殺)しかり、この度の侵攻またしかり。

 ヒト属のうち我々ホモ・サピエンスだけが持つ言語能力が、「おもいやり」を共感し増幅させると共に、逆の「殺し」をも教唆して増幅させる。我々が言葉を手に入れた七万年前からの性向、あるいは業(ごう)なのであろう。孔子は「仁に行いのよりどころを持つのが美しい。自らすすんで仁によらなければ、どうして知者と言えよう」(里仁篇)と言われた。三十八億年の歴史を持つ多様な生きものの一つである自らを、「叡智な人」と自負したからには、自惚れだけに終わらぬよう、仁にこそ里(お)りたいものである。

 知者はまた そのすみかにも 心して 仁者すむ里 美(うるは)しと知る
 (見尾勝馬『和歌論語』)

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