今月の論語 (2022年6月)
己所不欲(きしょふよく)

己(おのれ)の欲(ほっ)せざる所(ところ)、
人(ひと)に施(ほどこ)すこと勿(なか)れ。

己所不欲、勿施於人。
(衛霊公第十五、仮名論語二三七頁)

〔注釈〕(先師が答えられた。)「何事も、自分が他人からしてほしくないことは、他人にもしてはならない」

会長 目黒泰禪

 どうしてヒト(我々、現生人類)はこうも愚かなのであろうか。ラテン語で叡智な人、賢い人の意のホモ・サピエンスという学名(和名をヒト)を冠しているにも拘らず。歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリの言によれば、人類は何千年にもわたって同じ三つの問題、飢餓と疫病と戦争で頭がいっぱいだった。二一世紀初頭には、この三つの問題を首尾よく抑え込んで、これら三つから救ってくれるように、神や聖人に祈る必要はなくなる(『ホモ・デウス』より)。とあるが歴史学者の予見は今の現実からは遠いようだ。新型コロナウイルスのパンデミックはいまだに収まらない。一人の邪悪な指導者によってウクライナへの侵略戦争が勃発した。欧州のパン籠であるウクライナからの小麦輸出が滞り、干ばつに苦しむ東アフリカ各国の食糧危機に追い打ちをかける。当に今、三つの問題が同時進行している。更に恐れるのは、世界の人々は、特に民主国家の人々は情報量の過多で物事への関心を失いやすくなっている。ミャンマーでの国軍クーデター、アフガニスタンにおけるタリバンの全土掌握等々、今この時も続く各地の紛争と戦争が関心の外になり、忘れ去られて行く。専制国家の無愧な独裁者は、民主国家からどのような批判を受けても、全く改める気配すらなく、時を味方につけて関心が薄れるのを待つかの感さえする。

 『論語』の衛霊公篇に、弟子の子貢から「なにか一言で、一生を通じて行っていくべき大切なことはないでしょうか」と問われて、孔子は「それは思いやり(恕)であろう。自分がしたくないこと、されたくないことは、人にもさせることなく、するべきでない」と答えられたとある。この孔子の「己の欲せざる所、人に施すこと勿れ」は、わずかな文言の違いこそあれ、釋迦もキリストも言われた。一九九三年にシカゴで開催された万国宗教会議で、神学者ハンス・キュング教授の提唱で『地球倫理宣言』に明文化された二つの基本的原理の一つとなった。第一に「何人も人間らしく扱われなければならない」、第二にこの黄金律「何事も他人からしてほしくないことは、他人にもしてはならない」である。

 五十年前に立花隆が書いた『思考の技術・エコロジー的発想のすすめ』に、人間が倫理を叫び出したのも、その習性が種内関係(人間関係)にまで持ち込まれたときに想定される事態が身の毛もよだつものであることに気がついたがゆえかもしれない、とある。連日、ウクライナ侵略の報道を見続けると、私も同じ思考に進まざるを得ない。このおぞましい習性からのがれられないホモ・サピエンスには、皆がつねに「己の欲せざる所、人に施すこと勿れ」を唱え、戦争を阻止する努力を続けなければならない。

わが胸に 欲(ほり)せざるもの 人の身に 
施(ほどこ)すまじと 子やのらします
(見尾勝馬『和歌論語』)

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