今月の論語 (2022年4月) |
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尽善尽美(じんぜんじんび)
子(し)、韶(しょう)を謂(のたま)わく、
美(び)を盡(つく)せり、
又(また)善(ぜん)を盡せり。
武(ぶ)を謂わく、
美を盡せり、
未(いま)だ善を盡さざるなり。
子謂韶、盡美矣、又盡善也。
謂武、盡美矣、未盡善也。
(八佾第三、仮名論語三五・三六頁)
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〔注釈〕先師が、堯から平和裏に位を譲られた舜の音楽の「韶」を評されて「美を尽くし又善を尽くして麗しい」と言われた。しかし殷の紂王を放伐して周の国を建てた武王の音楽「武」には「美を尽くしているがまだ善を尽くしていない」と言われた。
会長 目黒泰禪
ロシアのプーチン大統領は、北京冬季五輪閉幕を見計らい、二月二十一日にウクライナ東部を「ドネツク人民共和国」「ルガンスク人民共和国」として独立を承認した。翌日二十二日にはロシア系住民を守るという名目でウクライナへの派兵命令を出し、二十四日、軍事作戦を決行した。徹底抗戦するウクライナ国民に対して、原子力発電所への攻撃、病院への爆撃、気化爆弾の使用など、無道の戦争をしかけ侵略している。国際社会の批判に対しては核兵器を口にしておどす。ロシア国民の反戦デモには情報統制と刑罰でだまらせる。三月九日現在、米欧日での対ロシアへの経済制裁、人道支援や間接的な軍事援助だけでは、プーチンの暴挙を止めことができていない。もしこのままウクライナが敗北するようなことになれば、正義が敗北するということになる。今の子供たちは、テレビだけでなくインターネットやスマホで瞬時に戦争の状況を知る。世界の大人たち、各国の指導者は何をしているのか、たった一人の凶暴な指導者さえも抑えることができないのかと、疑問に思うに違いない。
『論語』には、有徳で天下を譲られた舜(しゅん)帝と、革命によって天下を治めた武王の音楽を比べる章句がある。暴虐非道の殷の紂(ちゅう)王を放伐して周の国を建てた武王を讃えた楽曲、「武」を孔子は「美(び)を盡(つく)せり、未(いま)だ善(ぜん)を盡(つく)さざるなり(美を尽くしているが、まだ善を尽くしていない)」(八佾篇)と批評された。この章句は、孔子が消極的に武王を評価したと解釈されることが多い。私は、「美」の「うつくしい、よい、ただしい」との表現から、むしろ積極的に武王を評価したと解釈している。最善至善ではないにしろ、残虐な紂王の政治が続けばさらに民が苦しむ、民のために放伐は正しかった、と孔子は言われたのである。孟子が言う「仁をそこなうものは賊(ぞく)であり、義をそこなうものは残(ざん)である。残賊の人はもはや主君ではなく、ただ一人の普通の男にすぎない。紂という普通の男が武王に殺されたと聞いているが、家来が主君をあやめたとは聞いていない」(『孟子』梁恵王章句下)と同じ解釈をとりたい。
二月四日の開会式、新疆ウイグル自治区での人権問題に抗議して主要国首脳が「外交ボイコット」をするなか、習近平国家主席はプーチン大統領を主賓として招いた。ロシアは国家ぐるみのドーピングで処分され、ROC(ロシア・オリンピック委員会)の名で参加した国である。開会当日にはロシアと中国の「友情に限界はなく、協力する上で『禁じられた』分野はない」との共同声明を発表した。中国は、二月二十五日の国連安全保障理事会でのウクライナ侵攻への非難決議案に棄権、四十年ぶりに召集された三月二日の国連総会緊急特別会合でも棄権。さらに三月九日、習近平は経済制裁にも反対を表明した。
果たして、国際社会にはプーチンのみが残虐無道の指導者と映るであろうか。国民が鶴首して武王の再現を待つ国はロシアに限らない。
美と善を かねそなへたる 韶(せう)の音は 美なるも善なき 武よりまされり
(見尾勝馬『和歌論語』)
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