今月の論語 (2022年3月)
欲仁斯仁(よくじんしじん)

子(し)曰(のたま)わく、
仁(じん)遠(とお)からんや。
我(われ)仁(じん)を欲(ほっ)すれば、
斯(ここ)に仁(じん)至(いた)る。

子曰、仁遠乎哉。我欲仁、斯仁至矣。
(述而第七、仮名論語九二頁)

〔注釈〕先師が言われた。「仁は人が生まれながらに与えられているもので、遠くに求めるものではない。したがって仁を実践しようと思えば、仁は直ちに実現されるであろう」。

会長 目黒泰禪

 村下好伴先生のお人柄を一文字で表すとなると「温」、熟語なら「和光」、「温柔敦厚」であられた。先生のお側は何かしら温かい、あの陽だまりのような温もりなのである。「仁でありたいと望んだ瞬間に、仁はその人のものとなる」(述而篇)と孔子は言われたが、村下先生はその「仁」を言葉で教えるのではなく、いつも自らの姿で見せて下さった。

 新型コロナウイルスの感染拡大のため、村下先生にお会いできたのは昨年六月三日が最後となった。その日はじっと遠くを見つめて、友達は有難いものだなあ、とうなずくように語り始められた。同級生の吉田良次君がいなければ今の自分はいない。安岡正篤先生、伊與田覺先生の二師との出遭いもなかった、としみじみ話された。かつて戴いた葉書にも「真の行者は伊與田先生と伊丹丹養塾主吉田良次氏だと思い、このお二人を目標に今日まで励んで来ました」とあった。

 吉田さんは伊丹の農家の後継ぎとして生まれ、父親に大学進学を頑として許されなかった。府立園芸学校の恩師にその悩みを打ち明けると、何も大学へ行くだけが学問の道ではない、家業をしながらでも学問はできると諭されたという。以来、吉田さんは農業に勤(いそ)しみながら、夜遅くまで寸暇を惜しみ古今の聖賢の教えを学び続けた。後年、学んだことを後世に少しでも伝えたいと丹養塾幼児園を開設。そこでは「禊祓詞(みそぎはらへのことば)」、御製や本居宣長の和歌、「修証義(しゅしょうぎ)第四章発願利生(ほつがんりしょう)」などを、朗誦して暗記する素読教育を実践した。それも本字、歴史的仮名遣いを用いるのである。

 二十代後半の或る朝、西宮の卸市場で毎日出会う吉田さんから、「村下、勉強は面白いぞ。安岡先生の元へ一緒に行こう」と誘われたのが、東洋思想を学ぶ機縁となった。安岡先生の「『三上』の読書を実践せよ」と「無名で有力たれ」の言葉を心受した。三上は文章を練るのに最もよく考えがまとまるという三つの場所で、欧陽脩『帰田録』の馬上・枕(ちん)上・厠(し)上である。行商のリヤカーを引きながら、軽トラックに変わってからは信号待ちでも、もちろん厠(かわや)でも、村下先生の勉強は続いた。

 村下先生の戒名は、徳道好和禅定門。師友と出遭った後の来し方も、戒名をも「仁」であられた。

 そのすみか 遠くあらむと 人(ひと)いへど 招けば來たる 仁の道かな
 (見尾勝馬『和歌論語』)

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