今月の論語 (2022年2月)
小子何述(しょうしかじゅつ)

子貢(しこう)曰(い)わく、
子(し)如(も)し言(い)わずんば、
則(すなわ)ち小子(しょうし)
何(なに)をか述(の)べん。

子貢曰、子如不言、則小子何述焉。
(陽貨第十七、仮名論語二七三頁)

〔注釈〕子貢は言った。「先生がもし何もおっしゃられなければ、我々はどうして先生の教えを学び、伝えることができましょうか」。

会長 目黒泰禪

 ゴトリと停まってしまわれた。三千大千世界へ行ってしまわれた。師父、村下好伴先生が逝ってしまわれた。

 論語普及会が現在まで続いているのは、ひとえに村下先生のご決断とご尽力の賜物である。成人教学研修所の解散で論語普及会が存亡の危機に陥った時、伊與田覺学監の抑えがたい胸中を慮り、普及会の存続を弟子たちに呼びかけられた。先生の発した「伊與田先生が、伊與田先生が」のお声が未だ耳朶を離れない。

 思えば、家内と二人で教えをうけた先生は多くおられる。『正法眼蔵』、「密と律」の仏教思想、「四書」や『易経』の東洋哲学など。しかし『論語』の村下先生ほど長きにわたって與に共に愛し経て(教えて)頂いた師はおられない。家内のみならず、大学生の娘も、結婚後は婿も、そして孫までも教えて頂いた。四半世紀にわたって、親以上に教えて頂いた。

 また家内と二人で酒席を共にした朋友道友は少なくない。幼友達、同期や同僚と、そして「神戸論語楽しむ会」や寺子屋「子育て論語」での二次会、台北孔子廟釋奠や南宗家廟釋奠の旅など。しかし村下先生ほど與に酌みかわして頂いた方はおられない。神戸元町のこぢんまりした中華料理店をことのほか気に入られ、三人で幾度か足を運んだ。あまりに紹興酒を空けるので、甕をキープしましょうかと店主から言われたくらいであった。元町の新生公司の「焼豚」が特にお好きで、束脩の焼豚に、壺中庵主人の号をもたれる先生から歌を頂戴した。

 豚豚(トントン)と 歩み続けん 有野道 路傍に論語の 華咲かすまで

 先生が糖尿病になられた時は、焼豚が頭を過ったが、次の歌を頂いて胸をなでおろした。

 焼豚は 量無けれども 血糖値 はかりつゝ食へ 心の計器で

 天空海闊の先生からは、論語は勿論のこと、和歌、俳句、手紙や編集など何から何まで、行き方に至るまでお教え頂いた。七月に体調を崩されてからは、電話から葉書に変えて報告申し上げた。十一月二十五日の楷樹忌に、学監の墓前において宮武理事の先唱で『仮名論語』を素読し、カップ酒を空けました、との一葉が最後となってしまった。村下好伴先生は論語普及会の恩師であり、私の正師(しょうし)でありました。長きにわたり誠に有難うございました。心よりご冥福をお祈り申し上げます。

合掌九拝

 師父います 壺天で侍坐せん 寒オリオン 泰禪
 身罷りて 霜ふる夜の 玉箒(たまばはき)       和子
 九年母や 添い寝をしのぶ 師の笑顔   英典
 ご息女に すべて宿して 山眠る     紀乃
 先生の 姿をうつす 冬のばら      佑典
 雨ポツリ 目と鼻あかい 十二月     悠里

言はざれば いづこにわが師 求めむや われ行はむ 子が尊(たか)き道
(見尾勝馬『和歌論語』)

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