今月の論語 (2021年12月) |
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歸與歸與(きよきよ)
子(し)、陳(ちん)に在(あ)りて曰(のたま)わく、
歸(かえ)らんか、歸らんか。
吾(わ)が黨(とう)の小子(しょうし)、
狂簡(きょうかん)、斐然(ひぜん)として
章(しょう)を成(な)す。
之(これ)を裁(さい)する所以(ゆえん)を
知(し)らざるなり。
子在陳曰、歸與、歸與。吾黨之小子、
狂簡、斐然成章。不知所以裁之。
(公冶長第五、仮名論語六〇・六一頁)
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〔注釈〕先師が陳におられた時に言われた。「さあ帰ろう、帰ろう。わが郷里の若者たちは志が大きいが行いがそれに伴わない。彼らは真に錦のような美しい生地ではあるが、それを裁断して衣服に仕立てる方法を知らない。(さあ魯に帰って彼らを教え育てよう)」。
会長 目黒泰禪
寝台列車(しんだいしや) ゴトリ停(と)まれば 雪の原
壺中庵主人(村下好伴)
冬の到来である。北海道に生まれ育った身体が記憶している寒さや冷たさの感覚が、一つの言葉をきっかけによみがえる。村下好伴先生の句は奥様と雪国へ旅した時に詠まれたのであろう。私にとっては正月の帰省の記憶につながる。寝台車両で横になっても初めは線路の継ぎ目の音が気になり、なかなか眠れない。鞄からポケットウイスキーを取り出す。そのカタンコトン、カタンコトンがしだいに心地よいリズムになり、いつの間にか眠りに落ちる。そしてゴトリ。窓は空も大地も真っ白。息が白くなるほど凍る空気を吸いたくなって窓を開ける。そんな記憶がよみがえる。
雪くらく そらとけじめもあらざれば 木木はあやしく陶畫(たうぐわ)をなせり
宮沢賢治(大正六年歌集)
私のような凡人の帰省には懐かしさと多少の感傷が伴う。同じ「帰らんか、帰らんか(歸與歸與)」でも聖人は違う。孔子は故国の魯を棄て、「己(おのれ)を脩(おさ)めて以(もっ)て人(ひと)を安(やす)んず」「己(おのれ)を脩(おさ)めて以(もっ)て百姓(ひゃくせい)(天下万民)を安(やす)んず」(憲問篇)る国、そのような国作りを任せてくれる諸侯を探し求めた。諸国を周遊すること十四年、しかしながら孔子の言葉に耳を傾け、提言や政策を採用する国は存在しなかった。輔弼や補佐の立場では万民救済は叶わないと悟った時の言葉が、「歸(かえ)らんか、歸(かえ)らんか。吾(わ)が黨(とう)の小子(しょうし)、狂簡(きょうかん)、斐然(ひぜん)として章(しょう)を成(な)す。之(これ)を裁(さい)する所以(ゆえん)を知(し)らざるなり」(公冶長篇)である。さあ帰ろう、魯に帰ろう。故国の若者たちは大志を抱いているが実行は未完成のままである。真に良い生地なので、後は仕立て方次第である。魯に帰って彼らを教え育てたい。中庸の道を歩む人材を得て、これに教え伝えたい。もし得られないのであれば必ず狂狷(きょうけん)の者に教え伝えたい。狂者は進取の気象があり、狷者は不善不義をなさぬ節操がある。「中行(ちゅうこう)を得(え)て之(これ)に與(くみ)せずんば、必(かなら)ずや狂狷(きょうけん)か。狂者(きょうしゃ)は進(すす)みて取(と)り、狷者(けんしゃ)は爲(な)さざる所(ところ)有(あ)るなり」(子路篇)である。
『論語』の「帰らんか、帰らんか」の章句の季節は特定できない。しかし何故か、寒さ厳しい冬を想像してしまう。二〇〇九年製作の胡玫(フー・メイ)監督、周潤發(チョウ・ユンファ)主演の映画『孔子の教え』のせいかも知れない。いや、道産子ゆえか。いずれにせよ、「狂簡(きょうかん)」「狂狷(きょうけん)」の若者たちが世を変える。
歸らむか 小子狂簡(きょうかん) 章(あや)なすも 裁(さい)せずわれは いまや歸らむ (見尾勝馬『和歌論語』)
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