今月の論語 (2021年6月)
忠信篤敬(ちゅうしんとっけい)

子(し)曰(のたま)わく、
言(げん)忠信(ちゅうしん)、
行(おこない)篤敬(とっけい)なれば、
蠻貊(ばんぱく)の邦(くに)と雖(いえど)も
行(おこな)われん。

子曰、言忠信、行篤敬、雖蠻貊之邦行矣。
(衛靈公第十五、仮名論語二二九頁)

〔注釈〕先師が答えられた。「言葉にまごころがこもり、行いがねんごろであれば、南蛮北狄のような外国おいても道が行われるであろう」。
会長 目黒泰禪

 若い弟子の子張は、孔子の説かれる道がなかなか行われ難いと思ったのであろうか、「どのような心がけを以てすれば道は行われましょうか」と質問した。孔子は「言葉に真心がこもり、行いが懇(ねんご)ろであれば、どのような異国でも道が行われるであろう。これに反して真心がこもらず、懇ろでなければ、近隣の町や村でも道は行われないであろう。いついかなる時も忠信と篤敬から離れることがないように心がけることだ」と諭された。この教えを聞いて喜んだ子張は、早速この「忠信篤敬」を大帯の垂れ下がったところに書きつけ座右の銘とした(衛霊公篇)。

 『仮名論語』を素読して、この章句に至るといつもお二方を思い出す。一方は会社の先輩で遺棄化学兵器処理の専門家A氏である。オランダのハーグやスイスのジュネーブ等の国際会議に度々出席するA氏は、新渡戸稲造著『武士道』をいつもスーツケースの中に四、五冊入れて出国する。シンポジウムや研究発表で親しくなった海外の方々に、日本をより理解してもらうためである。英文や邦訳本など数多く出版されているが、講談社の須知(すち)徳平(とくへい)訳『武士道・対訳BUSHIDO』はお薦めであると言う。日本の文化や思想、信仰を英語で伝えるときに、対訳の邦文があると自分自身も確認できると教えて頂いた。「惻隠の情」「忠義」「克己」の漢字は知っていても、英語でとっさに出ない。確かに『対訳BUSHIDO』は便利である。

 もう一方は、初めてドイツに出張をした私を、前触れもなく瓦礫の教会へ連れだして下さったS氏である。「ベルリンの壁」が崩壊した四ヶ月後の一九九〇年三月、英国での仕事を終え、土曜日午後の便でフランクフルトに入り、ホテルに到着するとS氏の「明朝八時にロビーで待つ」とのメモが届いていた。翌朝早めにロビーに下りると、初対面の握手をするやいなや「すぐ私の車に乗って。案内したいところがある。英語は少しだけ」と言う。アウトバーン(高速自動車道)を飛ばしに飛ばし四時間余り、そこはある都市の一角、崩れたままの黒焦げの瓦礫の山。教会だと言う。S氏はポケットから独英辞典を取り出し、一九四五年二月十三、十四日の英米連合軍の空襲で崩壊した。これからこの黒焦げの煉瓦で教会を再建するとも語った。戦争の記憶を風化させてはいけないとの念い、クリスチャンとしての篤い信仰と平和への願いのふたつだけではない。敗戦後四十五年間も廃墟と化していた教会の再建は、東西ドイツ統一の証しでもあったろう。「ドレスデン・ヒロシマ・ナガサキ」と続く語には、ドイツ人の友邦に対する惻隠と自国に対する自負が言言肺腑(はいふ)を衝(つ)き、忘れがたいドイツの一日となった。案内されてから十五年後の二〇〇五年十月三十日、「フラウエン(聖母)キルヒエ(教会)」は元の美しい姿に蘇った。

コロナ禍にあり海外出張や赴任は中止や延期になっているが、必ず再開される。若い人達にはお二方に肖(あやか)り、一人ひとりが外交官の気概で交流してほしい。たどたどしい言葉であっても、「忠信篤敬」であり民族の誇りがあれば思いは達する。

 蠻貊(ばんぱく)も 忠信(まごころ)の言 篤敬(うやまひ)の ふるまひあらば 治めやすしと     (見尾勝馬『和歌論語』)

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