今月のことば (2020年11月)
欲無加人(よくぶかじん))

子貢(しこう)曰(い)わく、我(われ)人(ひと)の諸(これ)を我に加(くわ)うることを欲(ほっ)せざれば、吾(われ)も亦(また)諸を人に加うること無(な)からんと欲す。

子貢曰、我不欲人之加諸我也、吾亦欲無加諸人。
 (公冶長第五、仮名論語五五頁)

〔注釈〕子貢が言った。「私は、人が自分に無理をおしつけてくることを望まないので、人にも無理をおしつけることのないようにしたいと思います」
  会長 目黒泰禪

 「肌の色」はあっても、「はだいろ」という色はない。我々の世代には、クレヨンや色鉛筆に、桃色がかった黄色の「はだいろ」があった。空や海の「みずいろ」と顔の「はだいろ」は、どの色よりもすぐに短くなった。昔の日本人が共通に持つ色彩感覚であったが、「はだいろ」は肌の色での差別を助長する。このため日本の文具メーカーは二十年程前に色名を変えた。今は「ペールオレンジ」(薄いオレンジ)や「うすだいだい」である。

 大坂なおみが九月十二日、テニスの全米オープンで、二年ぶり二度目の優勝を果たした。コロナ禍の日常にある中、日本人のみならず、世界の人々に勇気と感動を与えてくれた。日本人の母とハイチ出身の父を持つ大坂選手は、この大会の前哨戦となるウエスタン・アンド・サザン・オープン、八月二十七日の準決勝棄権を決断した。「私はアスリートである前に一人の黒人女性です。私のテニスを見るより、注目を集めるべき問題がある」。四日前に発生した黒人男性が警察官に銃撃された事件に抗議して、途中棄権することを明らかにした。彼女の表明後には大会主催者側も中止延期を決めた。そのような経緯があって迎えた全米オープン。彼女は人種差別に抗議の意思を示し、試合ごとに違う黒人犠牲者の名前入りマスクを着けて登場した。一回戦から決勝までの試合数は七試合。一試合目の記者会見で「マスクは七枚ある。テニスを見た人が気づくきっかけになればいい。グーグルか何かで調べてくれたら」と。二回戦の時には「人種差別は米国だけの問題ではない。日本でも認知されるきっかけになれば」と話した。マスクを着けて勝ち上がればもっと関心を示してくれる、との思いを原動力にして大坂選手は優勝した。直後のインタビューで、マスクに込めた思いを問われた彼女は「あなたはどんなメッセージを受け取りましたか」と、逆に問い返した。

 弟子の子貢が「人から加えられたくないと思うことは、私もまた人に加えないようにしたいと思います」(公冶長篇)と言い、師の孔子は「己(おのれ)の欲(ほっ)せざる所(ところ)は人(ひと)に施(ほどこ)すこと勿(なか)れ」(顔淵篇、衛霊公篇)と言われた。釈迦も同じように言われ、キリストも「己の欲する所を人に施せ」と言われた。人からされたくないと思うことは多くある。肌の色の他にも、男女の性、出自、民族、宗教、文化など様々な差別が存在する。自分との違いを識別した瞬間から、人間には差別の心が生まれる。名前入りマスクだけで人種差別を問い得た彼女の姿に、大和撫子が重なった。差別になっていないかどうか常に意識しなければ、差別の心は残ってしまう。

 キング牧師が語った五十七年前の「私は夢に見る」は、まだまだ夢である。「I have a dreamいつの日か私の幼い四人の子供たちが、肌の色ではなく、それぞれの人間の中身によって人が評価される国に住むであろうことを。I have a dream today.」。

 不義うくる 身のかなしさや 人々に われはつくさむ 義(たゞ)しき道を
        (見尾勝馬『和歌論語』)

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