今月のことば (2020年1月)
尚風必偃(しょうふうひつえん)

君子の德(とく)は風なり、小人(しょうじん)の德は草なり。草、之(これ)に風を尚(くわ)うれば、必ず偃(ふ)す。

君子之德風、小人之德草。草尚之風必偃。
(顔淵第十二、仮名論語一七四頁)

〔注釈〕(先師が言われた)「為政者の徳は風のようなものであり、民の徳は草のようなものです。その草に風を加えれば、草は必ず靡(なび)き伏します」
 会長 目黒泰禪

 謹んで令和の御代の初春のお慶びを申し上げます。森羅万象穏やかで和やかな年でありますよう祈念致しております。

 「核兵器や大量破壊兵器の保有は、人の心が深く望む平和と安定への答えではない」、「戦争のための最新鋭の兵器を製造しながら、どうして平和について話すことができるのか」。昨年十一月二十四日、被爆地長崎と広島でのローマ教皇フランシスコの言葉である。

 孔子は魯国の家老・季康子から、政治の要件として「無道の輩を死刑にして、徳のある人物を登用するのは如何であろうか」と尋ねられた。「どうして国を治めるのに処刑が必要でありましょうか。指導者の貴方が徳のある政治を行えば、民は自ずと貴方に靡き伏しましょう」と答えられる。

 核兵器の保有自体が倫理に反すると教皇フランシスコは言われ、処刑が治国の要件ではないと孔子は言われる。我々の世代が「国を守るために核兵器の保有はしかたがない」「人道から外れた者を無くするために死刑はやむをえない」といつまでも語っていては、孫や次の世代が理想を語らなくなるのではないだろうか。現実主義で諦観するよりは、美しすぎると言われても、莞爾として理想主義で楽観を歩みたい。

 教皇フランシスコが長崎の爆心地公園で祈られたように、安保理常任理事国の米中露英仏五ヶ国の指導者も、アッシジの聖フランチェスコ「平和の祈り」を捧げる指導者であれば風となるのだが。「主よ、わたしをあなたの平和の道具としてください」と。竜巻でなく徳の風を、地球の未来のために。

 道なきも ほふりたまふな わが民は 草なり德の 風になびかむ
       (見尾勝馬『和歌論語』)


金蘭研修会にて

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