今月のことば (2019年11月)
八佾舞庭(はちいつぶてい)

孔子(こうし)、季氏(きし)を謂(い)う、八佾(はちいつ)庭(にわ)に舞(ま)わしむ。是(これ)をも忍(しの)ぶべくんば、孰(いず)れをか忍ぶべからざらんや。

孔子、謂季氏、八佾舞於庭。是可忍也、孰不可忍也。
(八佾第三、仮名論語二三頁)


〔注釈〕先師が季氏を批評して言われた。言「季氏は家老の身分でありながら、先祖の祭りに(天子が用いる)八佾を以て自分の庭で舞わせている。これ(この僭越な行為)を忍ぶことができれば、他に忍べないことはないだろう」
 会長 目黒泰禪

 「八佾(はちいつ)」という天子が用いる八列八人の六十四人で行う舞を、魯の季孫氏が大夫(家老)という陪臣の身分にもかかわらず自邸の庭で舞わせたことを、孔子は強い語調で批判された。このような僭越な行為を容認しては季孫氏が如何なることも為しかねない、との警告でもある。本来ならば諸侯は六佾(六列六人の三十六人)、大夫は四佾(十六人)であるから、季孫氏は大夫につき四佾でなければならない。

 今年も恒例の九月二十八日、台北孔子廟釋奠(せきてん)(孔子誕辰二五六九年周年)に論語普及会会員八名で参列した。この台北孔子廟での釋奠参列は、四十五年前(一九七四年)の成人教学研修所の論語堂開堂式に孔子七十七代直裔孫孔徳成先生をお招きしたのが機縁で始まった。今年で四十四回目である。その当時、台湾と日本は国交を断絶しており両国交流が極めて困難であった。それにも拘らず孔徳成先生は招聘に応え来日して下さり、「孔子の『仁』に関する思想」と題してご講演を賜った。今年の釋奠は早朝から生憎の甚雨となり、正献官等の祭官も佾生他も全員頭から透明の長合羽を着けての儀礼となった。しかし滴(したた)る雨を物ともせず、見事に舞い奏でる佾生や楽生に真に感心させられた。また第一回目から釋奠に参列されている道友の河野通一氏が、陪祭官の一人を務めたことも欣快の至りであった。

 台北孔子廟釋奠では、二〇〇八年からの国民党馬英九総統時代の八年間、総統自らが孔子の位牌前で焼香される際は、古代の天子の儀礼に則って、八佾の舞が奉納されている。しかし二〇一六年に民進党蔡英文総統になってからは、代理による焼香となり六佾の舞が続いている。今年も六佾であった。だがこの度は桃園空港に降り立ってから、台北の空気がこれまでとは違うのを漠然とではあるが感じた。翌朝、地元の『中國時報』を読み、その違いが解けた。今の台湾は中国との別離を強調するあまり、「中国」「蒋介石」「孔子」を避けるという風潮になっている。ホテルの部屋でデモ隊の声が聞こえた。香港での「逃亡犯条例」改正案への反対をきっかけに三ヶ月以上続く民主化・「反中国化」デモに、連帯を示して十万人規模(主催者発表)のデモがあったようだ。声は「台湾は香港とともにある」との意味らしい。しかし新聞記事の表現「去中国化、去蒋化」はともかくとして、「去孔化」は大陸の前の時空に戻ったようで胸痛む。「坊主憎けりゃ袈裟まで」か。心寂(うらさび)しいことである。

 八佾(はちいつ)を 舞ふ人々の おごりほど 過ぎたるやなし 過ぎたるやなし
        (見尾勝馬『和歌論語』)


先哲祭にて

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