今月のことば (2019年5月) |
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父母懐愛(ふぼかいあい)
子(こ)生まれて三年、然(しか)る後に父母の懷(ふところ)を免(まぬが)る。夫(そ)れ三年の喪は天下の通喪(つうも)なり。予(よ)や、三年の愛其(そ)の父母に有るか。
子生三年、然後免於父母之懷。夫三年之喪、天下之通喪也。予也、有三年之愛於其父母乎。(陽貨第十七、仮名論語二七五頁)
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〔注釈〕(先師が言われた)「子は生まれて三年、ようやく父母の懐をはなれるのである。従って三年の喪は、世の中の誰でもが服している共通の喪である。弟子の宰予も、三年の父母の愛を受けたであろうに、忘れてしまったのであろうか」
会長 目黒 泰禪
今から二十六年前の東京都昭島市、悪魔と男の子に名付けようとした親がいた。「悪魔は悪の世界で最強」という非常識極まりない理由で出生届を出し、市役所が法務局に確認の上で親権の濫用として不受理にした。幸いにも悪魔の命名は未遂に終わった。
親はわが子に、理想や希望を託し、思いを込めて名前を付ける。先祖の一字を貰い受ける場合も、長男長女と二人目三人目との漢字の使い分けも、辞書を引き古典に目を通して一生懸命に考える。結愛(ゆあ)さんは両親の愛の結晶であり、心愛(みあ)さんも両親に心から愛されて生まれた筈であった。しかし結愛さんは小学校へ上がる前(五歳)に、心愛さんは小学校四年生(十歳)の時に、あろうことかその親に虐待されて亡くなった。「きょうよりかあしたはできるようにするから もうおねがい ゆるして ゆるしてください」と結愛さんは平がなで必死に綴ったメモを、「お父さんに叩かれたというのは嘘です。小学校の先生に聞かれて思わず言ってしまいました」と心愛さんは父親から書かされた書面を残して亡くなった。昨年の三月東京都目黒区と今年二月千葉県野田市の児童虐待死事件である。
虐待の疑いがあるとして警察が児童相談所に通告した子供は、統計を始めた二〇〇四年九六二人から、二〇一七年六万五四三一人、二〇一八年八万一〇四人と過去最多を更新している。また国連児童基金(ユネスコ)によると、世界では生まれたばかりの赤ちゃんが毎日七〇〇〇人以上亡くなっている。二〇一七年に生後二十八日未満で死亡した乳児の割合が最も高かった国はパキスタンであり、貧困と紛争に苦しむアフリカ諸国と続く。最も低かったのが日本とのこと。その日本で虐待されている疑いの子供が八万一〇四人もおり、安全未確認の子供が二九三六人(厚生労働省調査、昨年十一月三十日時点)もいるというのである。政府は三月十九日、体罰禁止を盛り込んだ児童虐待防止法などの改正案を閣議決定した。
『論語』には親への孝行を説く章句は多いが、子への慈しみや愛を諭す章句は極少ない。しかし孔子の時代は、勿論現在でも世界どこでも、わが子への慈愛は当然という前提がある。孔子は「才能が有ろうが無かろうが、子の可愛さは誰でも同じ」(先進篇)と言い、「子生まれて三年、然(しか)る後(のち)に父母の懷(ふところ)を免(まぬが)る。…三年の愛其(そ)の父母に有る」(陽貨篇)と言う。霊長類学者の松沢哲郎京都大学特別教授も、ヒト科四属(ヒト、チンパンジー、ゴリラ、オランウータン)の中で、ヒト属だけが「子どもは親にしがみつかないで、親が子どもを抱く」特徴があると言う。他の三属は「子どもが親にしがみつく」。
日本人はヒト科ヒト属から退化し始めたのであろうか。虐待する親もかつては父母の懐に抱かれていたであろうに。
生れては 三年(みとせ)が間(あひだ) 育てらる 三年の喪こそ 禮の正しき
(見尾勝馬『和歌論語』)
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