今月のことば (2019年2月)
以杖叩脛(いじょうこうけい)

子曰わく、幼にして孫弟(そんてい)ならず、長じて述ぶること無く、老いて死せず。是を賊と爲(な)す。杖を以て其の脛を叩く。

子曰、幼而不孫弟、長而無述焉、老而不死。是爲賊。以杖叩其脛。(憲問第十四、仮名論語二二五頁)
〔注釈〕先師は(幼なじみの原壌に)言われた。「幼い頃は従順でなく、大人になってからもこれといった善行もなく、そのまま生きながらえている。これを社会の賊というのだ」そして杖で諭すように脛を打たれた。

 二千五百年前の原壌のように「老いて死せず。是を賊と爲す」と、孔子から杖(つえ)を以て脛(すね)を叩かれるのもつらいが、国から安楽死を勧められるのはもっとつらい。勿論後者は、あくまでもフィクションであり、今から十年後の望まない日本を描いた映画上での話である。昨年十一月に公開された五人の若手監督によるオムニバス映画『十年 Ten Years Japan』の中の第一話、早川千絵監督の捉える日本の近未来『PLAN75』の話である。二〇二八年の或る日、厚生労働省は、高齢化問題を解決するために、七十五歳以上の高齢者に安楽死を奨励する「プラン七五」を制度化する。或る役場の担当者が、生きる希望を喪(うしな)った老人たちへこのプランの勧誘にあたるという内容。昨年古希を迎えた私と家内にとっても他人事(ひとごと)ではなく、笑えない映画であった。

 この映画は、二〇一七年七月に日本でも公開された中国化されてゆく香港を描いた香港映画『十年』(二〇一七年十一月号の「今月のことば‐乗桴(じょうふ)浮海(ふかい)‐」に前掲)に触発されて製作。日本・タイ・台湾三ヶ国のそれぞれ五人の新鋭映像作家が集まり、自国の十年後の社会・人間を描く国際共同プロジェクトの映画である。日本版『十年』は、カンヌ国際映画祭でパルム・ドールを受賞した是枝裕和監督が総合監修を務め、新進気鋭五人の監督が各々の視点で日本の近未来を描き出した。是枝監督が監修、やはり観終わってからもしばらく寂(しん)とした。

 さて、現実の社会に目を移すと、終末期患者の望む医療は、患者自身が意思表示できなくなる場合に備えて、予(あらかじ)め治療方針について患者自身と家族と医師の三者が入念に話し合って決める「アドバンス・ケア・プランニング(ACP)」というものが欧米で普及している。厚生労働省は、日本でもこのACPを普及し浸透させる狙いから、横文字ACPの呼称を公募し、昨年十一月三十日「人生会議」と決めた。

 人生一〇〇年の時代である。医療の発達は、自らの意思とは違うところで死を遠のかせるかもしれない。徒(いたずら)に露命を貪るつもりはないし、孔子に脛を叩かれるような生き方も御免である。然しながら時として、望まぬ医療によって、死なないのではなく死ねないということだって想定される。古希を機(しお)に「プラン七五」を開かなくっては。おっと、「人生会議」であった。

 原壤も 杖(つゑ)もて脛(すね)を たゝかれぬ いきながらへて 善をなさねば
        (見尾勝馬『和歌論語』)

会長 目黒 泰禪

時習堂にて、日本創造教育研修所 田舞社長と

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