今月のことば (2018年11月) |
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迅雷風烈(じんらいふうれつ)
迅雷風烈には必(かなら)ず變(へん)ず。迅雷風烈必變。
(郷黨第十、仮名論語一三八頁)
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〔注釈〕先師は、雷が凄まじく鳴り、風が激しく吹く時は、天意を畏れて態度を改め、心を引き締めた。
六月の大阪北部地震、七月に西日本豪雨、そして九月には台風二十一号と北海道地震、次々と自然災害に見舞われた。おまけに記録的な猛暑であった。日本列島の天変地異、相次ぐ被災報道に術なく無力感に陥ったが、『論語の友』読者からの声に励まされた今夏でもあった。
日本列島は、北米プレートに載る北海道・東日本、ユーラシアプレート上の西日本・四国・九州、そこへ太平洋プレートとフィリピン海プレートが押しながら沈み込むという境界上に存在する。我々の遥か祖先はそれでも、南から島嶼伝いに、北から半島沿いに海を渡って移り住んだ。揺れ動く島ではあるけれども、それ故に肥沃な土地が産みだされ恵みをもたらしてくれる。日本列島の四季は、豊かな森と水、山海の恵みをもたらすが故に、太古から住み続けてきた。天地は荒ぶる天災をももたらす。勿論、我々には選ぶことも抗うこともできない。だが、も少し穏やかな和(にき)ぶる天地であってもらいたい。
『論語』に登場する自然の異変は、冒頭の章句「迅雷風烈には必ず変ず」のみである。孔子の生きた中国春秋時代の天変地異はどのようであったろう。中国の魯国の歴史を記(しる)した『春秋』とその注釈書『春秋左氏伝』から拾ってみると、孔子の生涯七十三年間、紀元前五五一年から紀元前四七九年迄の間、「大雩(たいう)」十三回(雩(う)は、あまごい・雨乞いの祭りの意味であり、ひでり・旱魃(かんばつ)の記録である)、「地震」三回、「大水」二回が記されている。しかし被災の実態は皆無に等しい。春秋時代は、天災よりも、戦争や労役による不条理な死や破壊という人災が多かったということかもしれない。孔子の生まれた魯国は、地震や雨の少ない乾いた中原にある。日本では怖いもの順に「地震、雷、火事、おやじ」と言うが、孔子には到底理解されないだろう。否(いな)、当節は「地震、雷、火事、豪雨」か。
ところで、伊與田覺先生が話しておられた『論語の友』九月号(五頁)に掲載の、「四條畷神社の朝日新聞社寄贈による鳥居」は、旧東高野街道に面した石造りの大鳥居である。明治二十五年から多くの人に親しまれてきたが、この度の震度六弱の大阪北部地震で損傷し撤去された。続いて手水舎が台風二十一号による倒木で押し潰された。本殿と御妣(みおや)神社、有源招魂社は幸いにも無事であった。氏子が護る村の鎮守の神様と違い、四條畷神社は氏子がいない別格官幣社である。所縁(ゆかり)による方々の参詣で境内の賑わいが待たれる。
をりをりの 迅雷(じんらい)風烈(ふうれつ) ひゞく日は おそれつ夫子 貌(かたち)かへます
(見尾勝馬『和歌論語』)
会長 目黒 泰禪
平成30年度 先哲祭にて
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