今月のことば (2018年9月)
縲絏非罪(るいせつひざい)

子謂公冶長、可妻也。雖在縲絏之中、非其罪也。以其子妻之。(公冶長第五、仮名論語四八頁)
〔注釈〕先師が、公冶長の人柄を批評して言われた。「結婚させるに相応しい立派な人物だ。牢屋に繋がれたことがあったが、誤解されてのことで本人の罪ではなかった」とて、自分の娘を彼と結婚させられた。

 孔子から娘婿にと望まれた公冶長は、『論語』でこの一章だけに登場する弟子である。無実の罪で牢獄に繋がれていたとあるが、どのような罪であったのか。六朝(りくちょう)・梁の皇侃(おうがん)が著した注釈書『論語義疏(ぎそ)』にその理由が詳しい。もっとも皇侃は、この話は雑書に出てくるもので必ずしも信用できないが、古くからの伝えとして書き記したという。掻(か)い摘(つま)んで書くとこうである。

 公冶長は衛から魯への国境で、鳥が「清(せい)渓(けい)に往って死人の肉をついばもう」と鳴き合っているのを耳にする。息子の消息が絶えて泣く老婆へ鳥の会話を伝えたところ、殺人の嫌疑をかけられ投獄されてしまう。繋がれること六十日目、雀の子が「白蓮の水辺で荷車がひっくり返り、牡牛の角も折れ、黍(きび)粟(あわ)がいっぱいこぼれている。ついばみに行こう」と囀(さえず)っている。これを看守に伝え調べてもらう。公冶長の言う通りであったので、無罪放免となる。

 鳥語を解すると言われた公冶長は温柔(おんじゅう)敦厚(とんこう)、仁に里(お)る人であったに違いない。間違いのない結婚であったろう。「ドリトル先生」や「風の谷のナウシカ」のように動物や虫たちと会話ができ、草や風、水、山と語り合えたらと思うのは、今も幼子と変わらない。ところで、春秋時代の公冶長のみならず、中世イタリアにも鳥語を解すると言われた聖者がいる。現バチカンのフランシスコ法王の名前の由縁となったアッシジの聖フランチェスコ(一一八二‐一二二六)である。ジオットの描いた壁画やリスト作曲の『小鳥に説教するアッシジの聖フランチェスコ』で知られる。しかし何と言っても彼の作った『平和の祈り』で、キリスト教徒のみならず仏教徒やイスラム教徒にも、宗派を超えて知られている。

 主よ、私をあなたの平和の道具にしてください。
 憎しみのあるところに愛をもたらす人に、
 争いあるところに許しを、
 疑いあるところに信仰を、
 絶望あるところに希望を、
 闇あるところに光を、
 悲しみあるところに喜びをもたらす人にしてください。
 主よ、慰められるよりも慰めることを、
 理解されることよりも理解することを、
 愛されるよりも愛することを、
 求めることができますように。
 私たちは、人に与えることによって多くを受け、
 許す時に許されるのですから。
            (渡辺和子訳)

 オウム真理教に蠱惑(こわく)された若者、過激派「イスラム国」(IS)に蝟集(いしゅう)した若者が、この祈りを耳にしていたなら、平和の道具として身を填(は)むこともできたのではないだろうか。

 縲絏(るいせつ)の うちにありしも 公冶(こうや)長(ちょう) 罪なき人よ 妻(めあは)すべきかな
       (見尾勝馬『和歌論語』)

会長 目黒 泰禪

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