今月のことば (2018年6月)
歌善必反(かぜんひつはん)

子與人歌而善、必使反之、而後和之。 
(述而第七、仮名論語九四頁)

〔注釈〕先師は、人と歌われて、相手がすぐれた歌い手だと必ずくりかえさせて、自らもこれに合せて歌われた。

 音楽をこよなく愛した孔子が、繰り返させ一緒に合わせて歌われた歌とは、どのような曲であろうか。繰り返させてとあるから、朝廷の政(まつりごと)を歌った「雅」や宗廟での祖先を讃えた「頌」のような、公式に歌われたものではないだろう。詩経に収められている「風」という諸国の民謡や民の心情を吐露したものでも古代信仰や祭祀と密接な関係があるといわれているので、「風」でもないかもしれない。春秋時代の今様というか、作詞作曲の即興的な歌ではなかったろうか。声の響きはどのようであったのであろう。亡くなられた七十七代直裔孫の孔徳成先生の声はバリトン(次低音の男声音域)であった。ましてや二メートルを超える体格の孔子が和すのであるから、その優れた歌い手の声の高さも、テノール(男声の最高音域)ではなく、バリトンかバス(最低音域)であったかもしれない。

 ベルリンの壁が崩壊した四ヶ月後の一九九〇年三月に初めて欧州に出張した。ドイツL社のS氏が、案内したいところがあると言って、アウトバーン(高速道路)を四時間余り車で飛ばし、ある都市の一角に連れて行ってくれた。黒焦げに崩れた教会の前であった。独英辞典を片手にS氏は、第二次世界大戦の英米連合軍の空爆で焼け崩れた教会であると言う。戦後四十五年間も瓦礫の山のまま残されていたことに驚く私に、これからこの黒焦げの煉瓦を使って教会を再建する計画であるとも言う。互いに少ない英語の語彙の中で、広島や長崎の原爆のことや戦争のことを話す案内となった。彼の基督教信仰への篤さと平和への希求を知ると同時に、ドイツ人が悲惨な記憶を忘却しないように努めていることに気づかされた。出張から三年経ったある朝、テノール歌手のエルンスト・ヘフリガーが『ドイツ語訳による日本の歌曲』のCDを出したという記事を目にした。もしS氏と再会できたら、ビールを飲みながらドイツ語の「さくらさくら」を歌いたいと思った。収録されている滝廉太郎の「荒城の月」、山田耕作「この道」、成田為三「浜辺の歌」などは旋律とドイツ語訳がぴたりと合い、ドイツ歌曲と聞きまがう。この作曲者三人がドイツへ音楽留学している所以(ゆえん)であろう。「ブリーテンバウム。ブリーテンバウム。キルシェンバウム・イン・ブリーテントラム(はなよ。はなよ。さくらのはなよ)」とヘフリガーは歌う。折にふれCDを反さしめて聴くが、未だ孔子のように和すことができない。

 案内された教会は十五年後の、二〇〇五年十月三十日に再建がなった。フランクフルトから四七〇キロのドレスデン、フラウエン教会(聖母教会)である。

 うるはしき 歌やふたゝび 歌はせて   夫子も友に 和せんとすなり
       (見尾勝馬『和歌論語』)

会長 目黒 泰禪

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