今月のことば (2018年5月)
卑諶草創(ひじんそうそう)

子曰、爲命、卑諶草創之、世叔討論之、行人子羽脩飾之、東里子産潤色之。(憲問第十四、仮名論語二〇四・二〇五頁)
〔注釈〕鄭の国の外交文書を作成するには、家老の卑諶が草案を作り、家老の世叔がその適否を討論し、外交官の子羽が文章を修飾し、最後に東里にいた宰相の子産が彩色して仕上げた。

 孔子が生きた中国の春秋時代に、鄭という弱小の国があった。鄭は、中原の黄河北方の大国晋と南方の覇者楚に挟まれて、いつも外交に苦慮していた。二つの大国に翻弄され衰退する鄭で、子産が宰相に推された。子産は中国史上初めて成文法を制定し、晋と楚の両国と修好し、一時、鄭の国力を増大にした。卑諶という草案を創る人物が存在していてこそ、子産は外交において敏腕をふるうことができた。孔子も私淑するほどの名宰相になった。
 この三月、習近平(シージンピン)総書記は、中国の国会に相当する全国人民代表大会(全人代)において憲法を改正し、国家主席と副主席の定められた任期(二期十年まで)の規定を削除した。加えて昨秋の党大会で引退した腹心の王岐山(ワンチーシャン)前政治局常務委員を異例の形で国家副主席に起用した。因みに憲法改正案についての反対はわずか二票、習総書記の国家主席再選は全人代有効投票二九七〇票で反対も棄権も〇票、全会一致であった。王岐山氏の副主席も反対票はわずか一票であった。事実上の「習・王終身体制」が信任された瞬間である。
 さて「習・王終身体制」で忘れてはならないのが、もう一人の王という人物である。党大会で中国共産党の七人の最高指導部(政治局常務委員)に選ばれた王○寧(ワンフーニン)
(さんずい偏に戸の下に邑)中央政策研究室主任、その人である。「チャイナ・セブン」の党序列五位、唯一の米国留学経験者(八八~八九年にアイオワ大学、カリフォルニア大学バークレー校で客員研究員)であり、江沢民(ジアンズォーミン)氏から習近平氏まで三代総書記の思想を起草したキーパーソンである。
寧氏は若くして上海の復旦大学国際政治系教授となり、八〇年代から、政治面における自由や民主主義は中国がもっと発展してからが望ましいという考えを主張していた。八九年の天安門事件の後は一層正当性を持ち、当時の共産党指導部が再び中央集権を強化し、民主化要求に対して断固とした態度で臨むべきという権力行使への理論的支柱となった。九〇年代には、上層部の腐敗は政権への不信となり下層部の腐敗よりはるかにダメージが大きい、腐敗を許せばソ連と同様に中国の共産党政権が崩壊に至ると警告した。九五年に江沢民氏の目に留まり、共産党のシンクタンクである中央政策研究室に引き抜かれた。王寧氏は、江元総書記の「三つの代表」重要思想を起草し、胡錦濤(フージンタオ)前総書記の「科学的発展観」を起草し、習総書記の「中華民族の偉大な復興」を実現するための「新時代の中国の特色ある社会主義思想」を起草した。中国の経済力を背景に広域経済圏を形づくる「一帯一路」構想をも考案した。正しく王寧氏は現代中国の卑諶である。習国家主席は、二〇三五年には少なくとも経済面で米国を追い越す「社会主義現代化強国」を目指す。
 安倍首相、トランプ大統領そしてプーチン大統領には、習国家主席が擁する卑諶の如き人物が存在するのか。大事難事に足元がぐらぐらだ。

 卑諶(ひじん)草し 世叔(せいしゅく)論じ 子羽(しう)まとめ 子産(しさん)かざりて 鄭(てい)の命成る
       (見尾勝馬『和歌論語』)


会長 目黒 泰禪

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