今月のことば (2018年4月) |
|
斉帰女楽(せいきじょがく)
齊人歸女樂。季桓子受之、三日不朝。孔子行。
(微子第十八、仮名論語二八二頁)
|
|
〔注釈〕斉の国人が、美人の歌舞団を送って魯国を混乱に導こうとした。その術中に陥って家老の季桓子は、女楽を受けてこれに耽り連続三日間にわたって朝廷の政治を怠った。ここにおいて先師は、ついに職を辞して魯国を去られた。
平昌(ピョンチャン)冬季五輪は多くの感動を与えてくれた。国境を越えて互いに讃えあう選手の姿にも大いに共感した。スピードスケート五〇〇メートルの金メダル小平奈緒が銀メダル韓国李相花(イサンファ)に「今も尊敬している」と寄り添い、ノルディック複合での銀の渡部暁斗が「フェアに戦えた」と金のエリック・フレンツェル(ドイツ)と抱き合う姿、怪我の恐怖を克服し最後までプレッシャーをかけあったスノーボードハーフパイプ銀の平野歩夢と金のショーン・ホワイト(米国)などである。
日本選手の活躍に、これまでになく長時間テレビに釘づけになった。中でも一番は、銅メダルを獲得した女子カーリングである。競技時間が長いだけでなく、訛が懐かしいせいもあった。「そだね」は賛成や共感する時に使う言葉で、小さい頃から耳に馴染んでいる。
ところで今回の冬季五輪は政治の色濃いオリンピックでもあった。開会式前後の報道に、「斉人、女楽を帰(おく)る」の章句が頭に浮かんだ。韓国は『論語』を日本に伝えた王仁博士の国である。韓国国民も私と同様に、頭に浮かんだに違いない。冒頭の注釈にもう少し加えると次の通りである。魯国が孔子の国政参与で天下を治める大国に成るのを懸念した斉国は、選りすぐりの美女八十人の歌舞団と飾りたてた四頭立ての馬車三十台を魯国へ贈る。斉国の思惑通りに事が運び、孔子が去るというものである。今回北朝鮮は、選手団四六名(選手は十種目に出場する二二名)に加えて、二二九名の「美女軍団」と異名を持つ応援団と、一四〇人の北朝鮮芸術団「三池淵(サムジヨン)管弦楽団」を派遣した。それだけではない。金正恩(キムジョンウン)委員長の妹、金与正(キムヨジョン)第一副部長は特使として開会式に出席した。正に「斉(せい)帰(き)女(じょ)楽(がく)」、「北帰女楽」(北、女楽を帰(おく)る)と言っては言い過ぎであろうか。文在寅(ムンジェイン)大統領が願った北の冬季五輪への参加が叶う一方、非核化にゼロ回答のままの北朝鮮訪韓団を受け入れた。美女応援団は一斉にお面をかざしたりサングラスをかけたり、その一糸乱れぬ振付が、反って、躍動感のない冷めた応援に映ったかもしれない。
北朝鮮は一九九三年三月に核拡散防止条約(NPT)脱退を宣言して以降、弾道ミサイルや核実験を重ねてきた。その間に二度南北首脳会談(第一回二〇〇〇年六月の金大中(キムデジュン)大統領と金正日(キムジョンイル)国防委員長、第二回二〇〇七年十月の盧武鉉(ノムヒョン)大統領と金正日総書記)が開催されたが、北のミサイル開発と核実験を止められなかった。遂には大陸間弾道ミサイルや水爆実験をするまでになった。
女楽を送られた五輪を契機として、四月末に第三回南北首脳会談が実現する。北の「体制保証されれば核保有の理由がない」「対話中は核実験・ミサイル実験しない」という巽與(そんよ)の言(耳ざわりのいい言葉、子罕篇・一二二頁)だけでは、南も唯唯諾諾に「そだね」となりはしまい。「そだね」。
三日(みか)までも 朝せで女樂に 耽る國 やみぬるかなと 夫子行(さ)ります
(見尾勝馬『和歌論語』)
会長 目黒 泰禪
|
|